全米オープン名勝負・青木功とジャックニクラウスのバルタスロールの死闘!

青木功とジャック・ニクラウスのバルタスロールの死闘は全米オープンゴルフ史上に残る名勝負といわれています。

最終日最終組で最終ホールまでもつれたこの勝負は見ているものを感動させました。
次第にマッチプレーの様相を呈したこの勝負の行方は?

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1980年全米オープンの舞台はバルタスロールGC!

 

子の名勝負の舞台となったのは1980年の

「バルタスロールGC」

この年の全米オープンのペアリングが、また最初からこの名勝負のドラマを予言していたかのように、予選初日からジャック・ニクラウスと青木功のペアリング

スコア的に、順番に行きますから、二日目も同じ組み合わせ。

この時点でニクラウス6アンダー、青木は4アンダーです。
決勝ラウンドの第3ラウンドは最終組でのスタート。
またもや同じペアリング。

 

青木功は当時東洋の魔術師と呼ばれていた!

 

青木功とニクラウスのバルタスロールの勝負のイメージ写真
(写真はイメージです)

青木は当時38歳でニックネームが

「東洋の魔術師」と呼ばれていました。

なんで?

この大会でもその本領を十分すぎるほどに発揮していました。
飛距離では全くかなわないのですよね。

青木曰く

「パー3のショートを除いてほとんどが2打目に持つのがオタマジャクシだよ~~」

オタマジャクシって・・フェアウェイウッドのことです。
音符の、オタマジャクシに見えますよね。
ところが、それで打って乗せるとほとんどが、グリーンオーバーなのですよね。

困った・・・が、そこで青木曰く

「こうなりゃあ~バンカー狙いだ!」

いう通りに、距離が届かないものだから、ほとんどがバンカーに入れるんですよ。(ほとんどは書きすぎかもしれませんが・・・」
見ていたギャラリーはこんな感じなのです。

「オ~~ノ~~~・・」

って、かたずをのんで今度は、バンカーショットで1パットのパーを、どんどんとっていくものですから、みんな驚いた!
まさに魔術師の本領発揮でした。
ジャックニクラウスは、その時は40歳という、すごく乗り切った年代で、全米オープンは3回優勝という、すごい記録を立てていた、アメリカが誇るビッグプレーヤーです。

それを、向こうに回しての一歩も引かない、青木のプレーにギャラリーは大興奮です。
ついに、第3ラウンドを終了して、青木とニクラウスが並んだ!

共に6アンダー。

青木が、三日目に2打伸ばした格好になるわけです。
この長いパー70のコースで、アンダーを出すのは至難の業。

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ジャックニクラウスと青木功のまるでマッチプレーの様相!

 

最終日は、勿論トップタイでの最終組でのスタート。
徐々に、このバルタスロールでの全米オープンは、この二人のマッチプレーの様相を、呈してくるわけです。

バンカーから、どんどんパーをセーブする、青木のプレーに感嘆するギャラリー!
でも、ジャックに優勝してもらいたいのが、本音のギャラリーですが、青木も一歩も引かずに大健闘でした。

次第に、二人の熾烈な戦いにギャラリーも、全世界の中継されてるゴルフファンも、この二人に釘付けに!
そして、勝負は最終ホールにまでもつれましたが、ジャックニクラウスのバーディーパットが、先に決まった。

これで勝負あったです。

差は2打。
青木は、ニクラウスの軍門に下りましたが、この二人の勝負は今でも、名勝負として語り継がれています。
この、バルタスロールで全米オープンや、全米プロゴルフ選手権などのメジャー大会が、行われるたびにビデオを見せられることになると思います。

最後に、ジャックニクラウスが先に長いバーディーパットを決めたのですが、まだ青木の同じバーディーパットが、残っていたのです。
二クラウスの優勝が、決まって興奮するギャラリーを、まだ青木のパットが残ってるから静かに・・

こうギャラリーを制するあのニクラウスの紳士的な行動が印象的です。

プロゴルファーである前に一人前の紳士であれ!

こういうことなのではないでしょうか?
・・・・・・・・・・・
帝王ジャックニクラウスのプロフィールの紹介です。

帝王・ジャックニクラウスはゴルフ界の稀代のプレーヤーで真の帝王である!

このありの青木功の優勝のシーンです。

日本人初のPGAツアー優勝は青木功のハワイアン・オープンのチップイン!

初の日本人米PGAツアーの優勝者青木功の話題です。
。。。。。。。。。。。。。。

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その後の青木功の活躍は米ツアー日本人初優勝!

 

青木功とニクラウスのバルタスロールの勝負のイメージ写真
(写真はイメージです)

青木功プロは、その後1983年に日本人では、初めて米ツアーの優勝を果たします。
1983年のハワイアンオープンですが、場所はワイアエラカントリークラブ。

最終日の最終組の前に上がっていたジャック・レナーに1打差で負けていたのですが、なんと~~青木の18番最終ホールの第二打が、ラフから打った128ヤードが直接カップイン。

土壇場のイーグルで、1打差の勝利になったわけです。

これを、見ていたのがフィルミケルソン。
ミケルソンのインタビューで、これを話していましたね。(随分前の話です)

色んな名勝負があるものですが、ゴルフは紳士のスポーツ。
正々堂々と戦うのがゴルフ。

感情的になった方が、負けかもしれないです。
そういった意味では2005年のタイガーウッズとクリス・デマルコのマスターズの名勝負の自分との戦い!

み・・そうなのかもしれないです。
 

それから31年後松山英樹がマスターズ制覇!

 

青木功プロと、ジャックニクラウスの名勝負から、31年後の2021年に日本人としては悲願の、初のメジャーチャンピオンが誕生しました。

「松山英樹」プロ

が「マスターズトーナメント」で優勝しました。
まさに国中がわきましたね。
18番の最終日のティーショットのフェードが、とてもきれいでした。

簡単にメジャーで勝てるわけがあるはずもないのに、一つ勝てば期待が膨らんでくるのは、これは至極当然ですが、これからどんどん積み上げてほしいですね~~
何せ・・まだ若いですから。

ニクラウスの、この時は40歳。
松山プロにしてみれば、その思いをすれば、まだまだ10年はいけます。
メジャーの試合があるたびに、話題になる選手・・この試合はまさにそんないいビッグゲームでしたね

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全米オープンゴルフでのフランシス・ウィメットとハリー・バードン

無名のアマチュアが全英オープン6勝のバードントロフィーの元となった英雄に勝った名勝負です。

タイガーウッズ・マスターズ16番の奇跡・クリス・デマルコとの力と技の勝負

まさに力と技の応酬となった2005年のマスターズの戦い。
ゴルフは自分との闘いである・・を実践したデマルコの戦い!

ゴルフ全米オープン名勝負と開催コースと歴史の紹介のまとめ

全米オープンの名勝負と開催コース紹介とさらに歴史などの紹介をまとめてみました。
まだまだ不足なのですがとりあえず・・さらに追加していきます。

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