日本の名門ゴルフクラブ・廣野ゴルフ倶楽部はC・H・アリソンの設計

日本の名門ゴルフクラブで第一位にランクされる廣野ゴルフ倶楽部はチャールズ・ヒュー・アリソンの設計です。

ゴルフマガジン社の世界名門ゴルフクラブ、コースで毎回日本でのトップにランクしています。

日本の名門ゴルフクラブはどこかを考えたときに一番先に思いつくのは

「廣野ゴルフ倶楽部」(広野ゴルフ倶楽部)

です。
世界名門ゴルフクラブランキングでも、日本のゴルフコースでは唯一ベスト50以内に入
っている超名門ゴルフクラブです。

hirono02
(廣野ゴルフクラブHPより引用・オーガスタの橋に似ています!)

その世界名門ゴルフコースランキングでの順位なのですが、一応年度によって変動はあ
るのですが、

2005年 35位
2007年 37位
2009年 39位
2011年 40位

となっているようです。(ゴルフマガジン社)
ゴルフダイジェスト版だとかなり違ってきますが、ここではゴルフマガジン社のランキ
ングを優先させます。

まあトップ50以内という処でしょう。
では何が評価されてそのような順位になっているのかこれから考えてみたいと思いますす。

廣野ゴルフクラブの歴史とC・H・アリソンの関係

廣野ゴルフクラブの場所は兵庫県三木市志染町広野にあるメンバーシップ、要は会員制

のゴルフクラブです。

開場は古く1932年。(昭和7年)
この年代だと、マスターズトーナメントが開催されたのが1934年ですから、オーガスタ
アリスターマッケンジーが設計していたころと重なりますね。

歴史を感じるものがあります。

アリスター・マッケンジーとは、1914年恩師のハリー・コルトに誘われて、コース設計事務所を設立したということです。

しかし戦争であえなく中止!

このクラブハウス内には日本ゴルフ協会により設立された

「JGAゴルフミュージアム」

があると紹介されています。(すいませんが行ったことがないので・・・)

ここが名門たるゆえんはなんといってもゴルフコース設計家の

「チャールズ・ヒュー・アリソン」

の存在が欠かせないでしょう。
日本のゴルフクラブにおいて世界ランキングのトップ100に入っているゴルフコースの中で、この C・H・アリソンが設計したコースが3コースもあるのです。

しかも戦前にできていたコースということになります。
戦後にできたコースで1コースもランクインしていないのはちょっと悲しいことではあります。

 

HPによりますと…

この廣野ゴルフクラブの設立は神戸の当時の財界人の数人のリーダーが中心になって造成工事に着手したとあります。

当時ちょうどイギリスの名設計家のC・H・アリソン氏が来日しているのを機に、同氏を招聘して設計を依頼した結果、約一週間でこの廣野の自然の地形を最大限に利用したコースを彼の才能を存分に発揮して完成させたとあります。

実はこの時期にはC・H・アリソン氏は、埼玉県膝折村で、東京ゴルフ倶楽部朝霞コースを造成、設計中だったようです。

アリソン氏の来日は1930年12月からの2か月間という短い1度きりの滞在期間だったにもかかわらず精力的に東京から兵庫までを移動して今の有名ゴルフ場を設計したということになります。

そこで関係者が廣野の設計を懇願したとのこと。
現地を見たアリソンさんはその地形に魅了されたということのようです。
そこでオリエントホテルに4日間籠って18ホールの設計図を書き上げたとあります。

その時に同じくして2020年の東京オリンピックの開催コースでもある

「霞が関カンツリークラブ」

ここの設計も手がけています。(改修に当たります)
実はこの時もできたてのコースを見てもらってアドバイスを受けたということのようです。

そこで名物のあのショートホールができたわけです。

アリソンさんといえば顎が背丈ほど高い絶壁のアリソンバンカーで有名な方です。

当時の造成は機械なんかないですから、人手で毎日100名以上の土木作業員の手で作られたようです。

人力ともっぱら馬を利用した造成工事だったようですね。
要はそこの地域の山林を開墾すような作業だったわけです。

1年半後に竣工!

その後第二次世界大戦で休場していましたが、昭和23年にインコースで営業。
24年6月に前ホールが開場したとのことです。

名物ホールは上がりの4ホールのようです。
15番~18番です。

この上がり4ホールは難ホールが続くために数々のドラマがここで繰り広げられてきました。

過去には日本オープンや関西オープンや数え切れないほどの公式トップクラスの競技がここで開催されてきました。

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古いアメリカの文献から見る廣野ゴルフクラブ!

最近新たになったことがあると同倶楽部 会報『HIRONO』2008年、新年号が紹介したという記事も載っていましたので紹介します。

2006年春の米国のゴルフ雑誌『ゴルフマガジン』社資料室で、『ザ・ナショナル・ゴルフレビュー』という雑誌が掲載した1939年の「世界名門ゴルフ場ランキングトップ100」にこの廣野ゴルフクラブが7位にランクしていたということです。

1939年といえばまさにマスターズトーナメントがマスターズになった年です。
1934年のマスターズがマスターズとは言わなかったのです。

「Augusta National Invitation Tournament」と称していました。

そのランキングを選んだ識者の中にはボビー・ジョーンズ、ジーン・サラゼン、アール・T・ジョーンズ・シニアといった面々ですごいですね。

確かに時期は別にしてもボビー・ジョーンズ、ジーン・サラゼンは日本に来ています。

もっともこのころのアメリカはゴルフ場の過度期にあります。
この年代にはものすごくの多くの名門コースが作られていきましたから、まだそういうコースが評価されない時期だったのかもしれません。

そしてやはりアリソンさんの存在が大きかったようですね。

廣野ゴルフクラブの名物ホールの紹介

数々の名物ホールがあるのですが、上がりの15番~18番を紹介してみようと思います。
全て廣野ゴルフクラブの公式ページから写真は引用させていただきました。

15番 568y Par 5 HDCP3

h15

h151

16番 401y Par 4 HDCP12

h16

fh161

17番 231y Par 3 HDCP15

h17

h171

18番 459y Par 4 HDCP6

h18

h181

なかなか戦略性に富んだコースですね。

ってこれだけではわからないですよね。
一度はここでラウンドしてみたいのですが、どうやらメンバー同伴でないといけないようです。

ここは宮城県で知り合いもいないので無理かもしれませんねえ・・・

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