ジョーダンスピースのプロフィールとゴルフを始めたきっかけのお話!

ジョーダン・スピースのプロフィールと、ゴルフを始めたきっかけについて書いてみようと思います。

世界ランキングのビッグ3の一員で勿論1位の経験者です。
マスターズと全米オープンのメジャー2冠!
しかしプロになったきっかけや、ジュニア時代はあまり知られていないようです。

プロになった心情はまさに有言実行の方です!

2016年6月18日現在の成績
世界ランキング2位
賞金ランキング3位
平均パット数1位
バーディー奪取数1位

Contents

ジョーダンスピースのプロフィールとゴルフを始めたきっかけ

ジョーダンスピースが生まれたのは1993年7月27日です。
ですから今(2016年)22歳で誕生日が来て23歳ということになります。

生まれたのはテキサス州ダラスという処で、なんか以前だいぶ前には世の中を震撼させる事件があったところですね。

お父さんはスポーツ選手でしたが、コンピューターソフト関連の仕事をしていたようです。
このお父さんが大のゴルフ好きで、スピースとあとで生まれる弟の二人を連れて、ゴルフ観戦に機会があれば連れて歩いたそうです。

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(出典元:https://toyokeizai.net/より引用)

自然とスピース本人もゴルフをやるようになったのは、これは運命ですね。

スピースが衝撃的だった出来事は7歳の時に、ダラスでの大会、バイロンネルソン選手権での観戦の時のこと。
ミケルソンのボールがグリーン奥の芝にこぼれたのですが、それがなんとスピース親子の目の前!

お父さんは

「ショットの邪魔になるでしょうから子供たちをどかせましょうか?」

するとミケルソンはスピース本人に

「じっとしていられるかい?」

「イエス」

と答えるとミケルソンはそこから寄せてパーをとった後に、スピース本人に、

「じっとしていてくれて、ありがとう」

といったそうです。
こんなエピソードあったんですねえ。

ミケルソンらしいというか、真のスポーツマンというのはこういった、さりげないやさしさのようなものがあって、しかるべきなんだと思います。

父親がその時の様子を

「まるでジョーダンは雷に打たれたような顔をしていた」

そう振り返っていたそうです。

この時のことがジョーダンスピースをまさに、プロゴルファーに押し上げていく原動力になったようですね。

この7歳の時に妹のエリーが誕生したのですが、不幸にも障害があるためになかなか一緒に暮らせなかったようです。

しかしこの7歳を境にして、ジョーダンスピースはゴルフにのめりこんでいくようになったのですね。

ほかの友人たちが映画やプールに遊びに出かけてる最中にも、わき目も降らずにゴルフにのめりこんで、まるで何かにとりつかれたようにゴルフ場で練習に明け暮れたそうです。

一人で練習に明け暮れていても、スピースは不幸かといえば全く逆で、すごく幸せ感を感じていたそうです。

ただ、スピース家には、ジョーダンをジュニアゴルフ界で支えるだけの資金的な余裕は、なかったんですなあ。
その為にスピースは奨学金というかその援助団体の援助を受けることに。

AJGA(米国ジュニアゴルフ協会)とその協力財団「ザ・サンダーバード」がその受け皿になったわけです。

この財団は将来有望なジュニアゴルファーを、育てるためにその資金援助を行う財団ということです。

さて日本にはこのような財団ってあるんだろうか?

聞いたことはないなあ。

この時にスイングコーチだった方が

「キャメロンマコーミック」

さんという方です。

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初めてのツアーバイロンネルソン選手権に出場とプロ転向

転機がおとずれたのは16歳の時です。
2010年のバイロンネルソン選手権にこのマコーミックさんの推薦で出場できることになったのです。

勿論初めてのツアー選手権に出場できるのですから、こんな大きなチャンスはないわけです。

この試合では悪天候にもかかわらずジョーダンスピースはなんと名だたるプロに交じって

「16位」

という成績でした。

そしてスピース本人がプロに転向したのが、この2年後の18歳で大学生の時でした。
勿論大学は中退しました。

プロになった原因は、苦学です。
大学に入学した時点でこの財団からの援助は、打ち切りになったようです。(ジュニア限定なので・・・)
大学でゴルフをやらせてもらえるような、しかもそういった経済状況にはとてもなかったというのが、本当のところだったようですね。

プロに転向した理由はひとえに、この貧困から脱出する!

此れだったようです。

大学はテキサス大学で、数々のNCAA(全米大学体育協会)のタイトルを獲得したスピースですが、経済的な困窮から脱するためには、プロに転向して稼ぐしかないと悟ったようです。

本人の弁です

「あのころの僕は、それはそれは貧しかった。プロになってマスターズに出ることは子供のころからの夢だったけど、あのころは夢のためではなく、生活費を稼ぎたい一心で、一刻も早くプロになろうと思い立った。失うものは何もない。賭けに出よう。そう思って僕はプロ転向を決意した」

そこで問題になったのがキャディーです。
プロのキャディーなんて雇えるべくもないですからね。

そこで頭にすぐに浮かんだのが現キャディーの

「マイケル・グレラー」 さん。

この方はスピースが2011年に全米ジュニアチャンピオンになって、全米オープンに繰り上げで出場した時に、バッグを担いでくれた方です。

接点は親友のジャスティントーマス選手の紹介です。
然しなんとスピースの大胆なお願いは…

「教師を辞めて自分の専属キャディーになってほしい」

グレラーさんは結婚間痔かでどうするか悩んだそうですが、ジョーダンスピースという、この若者の可能性にかけたんだと思います。

ほどなく学校に辞表を提出して、ここにジョーダン・スピースと、マイケル・グレラーさんの二人三脚が始まったわけです。

2013年の春からPGAのノンメンバーでツアーに参加するのですが、シード権なんてもちろんあるわけでなし、自分がプロ宣言しただけですから、ツアーへの出場権もなし!

希望はスポンサー推薦と、マンデートーナメントからの勝ち抜き戦!

がしかし実力は本物でしたね。
マンデーで勝ち上がって、10位以内に入ると翌週の出場権があるわけです。

そこで7月についにジョンディア・クラシックで初優勝したわけです。
そうなると翌年のマスターズ出場権と、自然に向こう2年間のツアーシード権も獲得。
はれてPGAのツアーメンバーにもなったわけです。

翌年の2014年のマスターズの初出場では、優勝争いしたもののバッバワトソンに僅差で負けるわけですが、その翌年2015年のマスターズでは雪辱を果たして優勝!

メジャーチャンピオンの誕生です。
そしてチェンバーズベイの全米オープンも制覇してメジャー2冠。
2015年にはその勢いで世界ランキング1位に輝きました。

まさにサクセスストーリーですね。

ジョーダン・スピースの精神力の強さの原点

ここまでジョーダンスピースを押し上げたものはんでしょうか?

ゴルフってメンタルなスポーツとはよく言われます。
かのボビージョーンズはストロークはめっぽう強かったのですが、そのジョーンズをしてもマッチプレーはからっきし弱かったそうです。

そこで彼は悩んだのですが、そこでたどり着いた結論が

「オールドマンパー(アンクルパー)」

の考え方です。
ボビー・ジョーンズのオールドマンパーはハリー・バードンがきっかけ!

この考えが適当なのかどうかはわかりませんが、何事にも左右されない極めて強靭な精神というのは、どれだけ逆境に身を置いてきたかということの、裏返しでないかと思うわけです。

赤貧状態んから脱したいと考えた大学の時の苦労が、「オールドマンパー」を会得させたといっても過言ではないかもしれないと思うのですが、皆さんはどう思いますか~~

ゴルフってよく人生にもたとえられますが、そういったことを考えるにつけ、ドラマだなあ・・などと思うのです。

今年2016年のマスターズは、すわ連覇確実!

という処まで行ってあのまさかの池ポチャ!
ニクラウス曰く、

「今の時期あれを経験することは必ず彼のためにはプラスに働くことは間違いない!」

こういうことを言っています。
経験はバネになるんだ!
そう言ってるような気がします。

ジョーダンスピース・プロフィールや使用クラブとパター他のまとめ

これからもどんどん活躍すると思いますが、応援してますよ~~~

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