ゴルフクラブが14本に制限された理由3つの説とゴルフクラブの歴史!
ゴルフクラブって使用本数はルールで14本と決まっています。
これは、みなさんゴルフをおやりになる方なら、だれでも知ってることだと思います。
では、いつからこのラウンドでの使用クラブが、ルールで14本と決まったのか?
誰が決めた?
それについて考察してみようと思います。
Contents
ゴルフクラブが14本に決まった3つの説とは?
ゴルフクラブが、規定でルールが14本に決まったのはいつからだ?
さて??
この説には三つの説があるようです。
個人的には、最後のボビージョーンズの説が、当たってるような気がするのですが、この時代は近現代的な時代ですので、それとマスターズの創設者ですから、ゴルフ界には絶大な影響力を、持っていたと思うからです。
では、その前にゴルフクラブの本数の話ですから、そのゴルフクラブについて、少し話題にしてみたいと思います。
ゴルフクラブの歴史はいったいどうなってる?
100年以上も前には、イギリスとアメリカでは、ゴルフは国民的なメジャーな遊びになっていて、プロも存在していました。
そして、アマチュアも全盛の時代です。
そして、プロとアマの名勝負も・例えば
フランシス・ウィメットとハリーヴァードン
全米オープン名勝負!フランシスウィメットとハリーバードンの死闘!
の1913年のプロアマ対決ですね。
これは映画になりました。
「グレイテスト・ゲーム・エバー・プレード」
ハリーヴァードンは全英6勝。
それに、無名のキャディー上がりのアマチュアの20歳のフランシス・ウィメットが、勝ってしまうのですから、サクセスストーリーですね。
ということでゴルフクラブですが・・
最初に、パーシモン(柿)を作ったのは1899年といいますから、勿論100年以上も前ですが、マクレガーです。
また、一番最初のクラブセットの販売は、セットでの販売ですがこれは7本のアイアンセットで、スポルディング社です。
こちらは1926年とあります。
いずれも随分前ですね。
ではその説の3つをそれぞれに紹介します。
1859年に出場したジラードのキャディー直訴説!
全英アマ選手権に、ジラードという選手が、出場したそうです。
その時に、彼はなんと55本のクラブを持参して、大会に臨んだそうな。
しかも2台のリヤカーに乗せてとあります。
それを運んだキャディーは、相当に苦労したようです。
そもそも。「55本」ですから運ぶのはいいとしても、次に何番で打つのか?
そもそも、何番という番号があったのか?
それも疑わしいですよね。
そして、選ぶのが時間がかかれば、当然プレーにも時間を要したことは、容易に察しがつきます。
そのキャディーが、当時にゴルフのルールを規定する、全英ゴルフ協会のR&Aに直訴したそうです。
そこでこの直訴を受けて、R&Aは理事会を開いてその場で、クラブの本数を1ダースプラスパターの一本で13本に決めたのですが、この13という数字が縁起が悪いということで、プラス一本で14本になったという説です。
しかし、この時のR&Aですが、本当にそんなに機能していたのでしょうか?
全英オープンの歴史は第一回大会が1860年です。
このお話の翌年になるわけです。
1936年カーティス・カップの説!
当時、隔年で行われていた全米ゴルフ協会と、全英ゴルフ協会の共同開催の
「米英アマチュア女子対抗戦」
今でいえば、ライダーカップのようなものですね。
その、アマチュア版の女子版と思えばよろしいかと。(私はそう思いました)
場所はスコットランドのグレンイーグルズの、キングスコースとあります。
その大会に参加したある女子選手が、ゴルフバッグに23本のゴルフクラブを入れて、参加したそうな。
試合後のプレスのインタビューで、こういったそうです。
「ええ、私23本のクラブをキャディーに持たせたわ。だって私このすべてのクラブが必要だったのよ。」
まあ・・その方にとっては、必要なクラブだったのでしょうね。
ところが、USGAのゴルフ規則委員長のロバート・ハイスという方が怒った!
「こんなことを許していてはプレーに遅延をもたらし、スロープレーの極み!即刻クラブの本数を制限しろ!」
と要約すると、こんなことだったようです。
規則委員長のロバート・ハイスは即刻R&Aに相談。
ところがR&Aはつれなかった…
「その必要なし」
こういうことだったようです。
ところが、その翌年にUSGAが規則委員会を開いて、14本を上限とする案を決めて、R&Aに提示して説得したとあるようです。
そこで、翌年ですから1939年にUSGAとR&Aの統一ルールとして、使用クラブ本数が
「14本」
に決まったという説です。
この時に、何故に14本という数字が出てきたかは、不明でわかりません。
くしくも、1939年といえばゴルフの祭典マスターズトーナメントが正式に
「マスターズ」
と命名された年でもあるわけです。
・・・・・・・・・・
ゴルフでの、風の影響についての私の貴人の感想です。
参考になるかどうかはわかりませんが、風は私は大っ嫌いです。
ゴルフでプレー中の風速がどのくらいなら球筋に影響するかの考察!
ジャックニクラウスと、アーノルドパーマーは、以後何年も一緒に勝負を決する、素晴らしいライバルだったことは間違いないかと。
全米オープン名勝負ジャックニクラウスとパーマーの1962年の対決!
この時は、ジャックニクラウスはこれからの時!
・・・・・・・・・
球聖ボビージョーンズとトニー・トーランスの相談説!
ローソンリトルという、アマチュアゴルファーがいるのですが、彼は1934年と1935年と2年連続で、全英と全米のアマチュア選手権を制覇したのです。
すごいですね。
これで全米オープンと全英を制覇すれば、キャリアグランドスラムです。(当時は)
しかし、その時に彼はなんと31本のクラブを、バッグに入れていたのでキャディーが、1番の説同様に重くて大変だとクレーム。
そこで、またまたUSGAとR&Aが協議を重ねた結果、「1939年」にゴルフの使用クラブは
「14本にする」
という統一ルールを発効した。
ではなぜに14本なのか?
これについては、これが一番現代的にも説明できて、有効のような気がしますが、下記のような内容です。
1936年にウォーカーカップが開催されました。
このウォーカーカップというのは、2番と同様のUSGAとR&Aの共同開催の男子アマチュアゴルフの米英の国別対抗戦。
ライダーカップの、アマチュア版ですね。
出場したのは、あのマスターズのオーガスタの提唱者の
「球聖ボビージョーンズ」とイギリス代表のトニー・トーランスですが、二人が駐車場のロールスロイスの車中で、クラブの本数について協議したとあります。
こんな感じだったのでは(フィクションです)
ボビー
「トニー君は今日クラブ何本持ってきたんだい?
トニー
「ボビー僕は12本以上は使ったことがないんだ。それ以上は必要ないと思っている。それよりもボビー、君がグランドスラム達成時には何本のクラブを使ったんだ?」
ボビー
「16本さ。じゃあさこうしないか?この僕と君の中間をとって14本にしないか?僕と君でルールを作るのさ」
トニー
「それは妙案だ、早速R&Aルール委員長ロバート・ハリスに伝えてこの問題を解決しよう」
こう言ったかどうかはわかりませんが、あくまでも私の想像です。
しかしR&Aが1939年にルールを決めたのは間違いないと思います。
何故ならすぐ依然で近現代の話ですから、そのころなら、正確に記録が残っていると思うからです。
ゴルフクラブが14本に制限された理由のまとめ!
この3つの説が出てきましたが、なかなか思い内容ですね。
でも年表を見ていると、どこか矛盾があるようにも思います。
さて???
1の信ぴょう性について!
このころは1859年ですからまだまだゴルフが規則はあっても、クラブ本数にはなかったのは想像に難くないと思います。
しかし全英オープンは翌年が第一回。
公式な大会が、まだなかった時代にこういったルールの改定って、あるのかな?
はなはだ疑問です。
2の信ぴょう性について!
時代は1936年とあります。
そして、発行されたのが全英協会(R&A )では1938年USGAとの統一見解が1939年とあります。
これは3の説と時代、年代がかぶってます。
ある程度信ぴょう性があるような気もしますが、ことはアマチュアの大会です。しかも女子の大会!
どうもすっきりしないのです。
ここで私個人が推理すると・・
どうしてもこのルール改定では、先鞭をつけたい全英ゴルフ協会のR&Aが、ボビージョーンズが決めたでは面白くない。
全てのゴルフのルールは、全英から出るべきであって、ゴルフの聖地はR&Aの本部があるセントアンドリュース!
USGAには絶対に決めさせない!
なんてね・・
3の信ぴょう性について!
時代から言って、USGAの記録から見てもこの説が一番信ぴょう性があるような気がします。
まさか、今から70年以上前とはいっても、近現代的な時代です。
記録はすべて本当なのではないかと思うのです。
もうアメリカでは、自動車が普通に走ってビルも立ち並んでいた時代です。
さて皆さんはどちらの説が正しいと思いますか~~
*追記
クラブの本数で、失格になるプロはたま~~にいますね。
なんで、決まりなのに守れないかな~~て思うのですが、大半は練習場のそのままの本数を・・まあ~~そんなところで、意図的な方はほとんどいないと思います。
ボビージョーンズと、ロールスロイスの中で・・これはちょっと面白いですね。
でも、私はこれが一番信ぴょう性があって、信頼がおけると思います。
14本以上あっても悩むだけかと思いますよ~~
・・・・・・・・・
世界ランキングNO1のパインバレーの設計者や歴史は?
驚いたことに、日本の数々のコースも設計されていました・・・
パインバレーGCの設計者や歴史秘話は?世界一位で一番難しいコース!
ベスページは、とんでもない難易度のコースです。
ベスページブラックコースの歴史と設計者は誰?PGA選手権開催コース!
ここで、アンダーはある意味すごいかと!
スポンサーリンク