全米オープン名勝負!フランシスウィメットとハリーバードンの死闘!

時は今・・なんていうとちょっと歴史的ですが、時は1913年と言いますから、今から108年も前の全米オープンゴルフでの名勝負です。(2021年現在)
しかも、無名のアマチュアが、時のチャンピオンに勝ってしまうという、前代未聞のサクセスストーリーが、現実になったお話です。

しかも、初めて米国人の全米オープンチャンピオンが誕生!
全米中が、沸きに沸いた大会でした。

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Contents

全米オープンゴルフの歴史とフランシス・ウィメット!

 

全米オープンゴルフは1895年が第一回大会です。
それから、18年後の大会。
開催コースは「ザ・カントリークラブ」のメインコースです。

この大会は、のちに映画にもなりました。
当時はまだ、プロの中にアマチュアが混じっての、競技会が通常の時代。

全米オープンゴルフでのアマチュア精神はなんと言ってもあの
映画にもなった球聖ボビージョーンズですが、しかしその前にアマチュアゴルファーがメジャー大会を制する事件があったことはあんまし知られてないようです。

勿論私も知りませんでした。


(楽天より)

この映画です。これは良いですよ。見てください。って自分に今言ってますが・・・

「グレイテスト・ゲーム・エバー・プレード」

です。これは実話です。
時は1913年の全米オープンゴルフです。
この大会で初めて、全米オープン至上初めてのアメリカ生まれのしかもアマチュアチャンピオンが誕生したのです。

その名は

「フランシス・ウィメット」 です。

 

全米オープンゴルフの歴史とアマの立場は?

 

全米オープンゴルフの歴史は、初回開催が1895年といいますから、今から124年前になります。
当時のゴルフ界の環境といえば、アマチュアは、上流階級の証明のような存在で、援助は禁止で自己資金で、遠征費用などを、まかなっていかなければならなかったので、上流階級の人しかアマでは、資格を継続できなかったようです。

いわば、アマチュアのゴルファーといううのは、上流階級の方でゴルフばかりできる層で、当時は社会的にはプロよりも上級だったようですね。
ところが、フランシス・ウィメットは珍しく11歳でキャディーをはじめた、下流階級の出身で、当時は珍しい現象だったようですね。

自宅の近所のコースで、キャディーをやっていたコース、そこに全米オープンがやってきたのです。
コースは「ブルックラインゴルフクラブ」(ザ・カントリークラブ)

 

1913年の全米オープンに出るために!

 

当時スポーツ用品店勤務の彼は全米アマ出場で休暇をすべて使い果たしてピンチ!
上司は、これ以上の休暇は認めず。

が‥救世主が‥

困った彼を、USGAの理事が後押しして出場できることに!
彼はそのとき若干二十歳。

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興味のあるかたはいかがですか?

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全米オープンの名勝負と開催コース紹介とさらに歴史などの紹介をまとめてみました。
まだまだ不足なのですがとりあえず・・さらに追加していきます。

ゴルフ全米オープン名勝負と開催コースと歴史の紹介のまとめ

ボビージョーンズの「オールドマンパー」は有名な言葉です。
敵は相手ではない・・自分の中にいる!
ここでもハリーバードンが出てきます。

ボビージョーンズのオールドマンパーはハリーバードンが気づかせた!

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全米オープンでのハリー・バードンとテッド・レイとの試合内容!

 

さて相手ですが、その当時のチャンピオンであって、USGAが彼らのスケジュールに合わせるという、対応までして招聘した

スコットランドの英雄ハリー・バードンとテッド・レイ です。
当初は、このスコットランドの英雄ハリー・バードンとテッド・レイとの一騎打ち!

当然です。
ハリーバードンは「バードントロフィー」のもとになった、稀代の英雄ですから。

と思っていたら、なんとこの無名のアマチュアの、聞いたこともない名前の

フランシス・ウィメット が4ラウンドの72ホール、終ってみれば首位タイだった。

おそらくですがアメリカ中が沸いたでしょうねえ。
何しろそれまでの全英オープンや全米オープンでは、イギリス人しか優勝がないのですから、そこへ、まさかのアメリカの無名の、アマチュアが首位タイだ!

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キャディーは若干10歳のエディーローリー!

 

そのときのフランシス・ウィメットのキャディーがこれまたたった10歳の

「エディ・ローリー」 という少年。

これもまた驚きです。この方は後にかなりの出世をされて、アメリカのゴルフ界に多大な貢献をしたとかかれていますが、どのような貢献かはわたしは、今は存じません。
さて4日間を終って、首位タイでの3人による、プレーオフが、18ホールで行われました。

この時も、プレーオフは翌日の18ホールの規定だったんですね。
今と同じルールです。(この記事を書いた当時)

ところが、当日は前日からの雨で、コースのコンディションが最悪で、さらに雨による救済処置が、当時がルール上なかったために、かなり苦労したようです。
決着は17番。バードンがティーショットをバンカーに入れてボギー。

フランシス・ウィメットがバーディーで〆てほぼ決着。

バードンはこの時負けを認めたのか、葉巻に火をつけたということでも有名です。
プレー中は、葉巻は吸わない彼がつけたのは

「終った」

の合図だったのでしょうね。なんとも紳士なものですね。
さすが当時のチャンピオンです。

終了スコアはフランシス・ウィメットが72 バードンが77 レイが78 だそうです。

この瞬間に、全米オープンで始めて、アメリカ生まれのチャンピオンが誕生した瞬間!
しかもアマチュアの二十歳の若者の偉業です。

以後、50年以上にわたって、全米オープンはアメリカ人が、ほぼ独占優勝していったというから、その起点になったということで、重要な意味があると思います。
尤も、すべてではないですが、圧倒的にアメリカ人の優勝が多いですね。
ゴルフで優勝した記事が、新聞の一面を飾ったのもフランシス・ウィメットが最初

そして、彼は生涯をアマチュアで、通したということでも有名です。
この辺もボビージョーンズに影響したのかもしれません。

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フランシス・ウィメットのアマチュア精神の証明と感想!

 

人となりのエピソードですがジーン・サラゼンが1924年の全米オープンでフランシス・ウィメットと一緒にラウンドした時のこと。

彼のエピソードで非常に印象的なのは、ジーン・サラゼンの以下の述懐であろう。

「1924年の全米オープンで私はウィメットとプレーしたのだが、ギャラリーはウィメットのプレーが終わると私のプレーそっちのけで我先に走っていってしまう。すると、一番ホールのグリーンで彼は『レディース・アンド・ジェントルマン』と前置きしてギャラリーに向けて語りかけたのだ。
『私が、今日一緒にまわっているこのパートナーは、実は、一昨年の全米オープン・チャンピオンです。私を応援に来てくださっているギャラリーの皆さん、どうか私の打ち終ったあと動かないで下さい。サラゼンさんのショットのじゃまをしないで欲しいんです。走ったりしないで下さい……』
それ以降、5000人ものギャラリーは私のプレーを静粛に見守ってくれた」
引用元https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=4283089&id=46452721

彼を称して、アマチュアの中のアマチュア・・そして彼のこの考えは、ボビー・ジョーンズに継承されてオーガスタへと向かっていくんだったな。

さてこの映画ですが、

「グレイテスト・ゲーム・エバー・プレード」

これは、その時の全米オープンの内容を、現代風の映像で作った映画だということです。

勿論時代考証は、当時のままですが、映像がすごく迫力があって良いという評判ですが、ツタヤでは在庫確認しましたが、ないようです。

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いかがですか?

う~~ん見てみたい!!

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素晴らしいコースです。
ぺブルリーチと似ていますが、然し全く非なるものと思います。
設計は、オーガスタのアリスターマッケンジー博士!

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アマチュアがメジャーで優勝する時代は来るか?

 

今の時代、または今以降の時代に、そういうことってあるだろうか?
この時代は、ゴルフはアマチュアの物で、プロは賞金稼ぎのイメージだったようで、ステータス的にはやはり、アマチュアの方が上だったように思います。

なので、実力も伯仲していたんだと思います。
さらに当時のメジャーというのは(1913年当時)

  • 1:全米オープン
    2:全米アマチュア
    3:全英アマチュア
    4:全英オープン

でしたから、アマの大会が二つも入っています。
これを年間にすべて勝利して、グランドスラムという言葉の基になったのですが、それが

「ボビージョーンズ」

です。
マスターズができて、その後メジャー大会は大きく変動していき、ゴルフはプロの大会になっていくんだな。

司会sながら、アマへへの門戸は何時も開かれていて、どのメジャー大会でも、アマに出場権が与えられています。

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