帝王・ジャックニクラウスはゴルフ界の稀代のプレーヤーで真の帝王である!
帝王ジャックニクラウス!
ゴルフ界の帝王とはジャックニクラウスに与えられた称号のようなものです。
ある意味若いときの二クラウスはヒールのような印象がありましたが、とても紳士的です。
あの青木功とのバルタスロールの全米オープンのときの、青木の最後のパットを冷静にしろというギャラリーへのジェスチャーがそれを物語っているような気がします。
結果最初にパットを行った二クラウスの全米オープンの優勝です。
数々の武勇伝を持っていて、この人ほどゴルフ界に君臨して、規則を作ってきた人もいないと思います。
Contents
ジャックニクラウスのプロフィール
生年月日:1940年1月21日(75歳)
出身地 :アメリカ・オハイオ州コロンバス
身長 :5 ft 11 in (1.80 m)
利き手 :右
ライバル:アーノルドパーマー
優勝回数
メジャー: 18勝 (歴代1位)
米国男子: 73勝 (歴代3位)
米国シニア: 10勝
初優勝 :1956年オハイオ・オープン
賞金王 :1964年・1965年・1967年・
1971年-1973年
1975年・1976年
賞金ランク最高位 :米国男子: 1位(8度)
賞金王に8度も輝いてます
すばらしいです。
さらに凄いですよ。
メジャー大会優勝内訳
マスターズトーナメント : 6勝
全米オープン : 4勝
全英オープン : 3勝
全米プロ選手権 : 5勝
シニアメジャー大会の優勝回数
全米プロシニア : 1勝
ザ・トラディション : 4勝
シニアプレーヤーズ選手権:1勝
全米シニアオープン :2勝
ごらんのようにレギュラーツアーのメジャー大会の4大会とシニアツーのメジャータイトル4大会のすべてで勝利しています。
これはジャックニクラウスのみの偉大な快挙です。
ジャックニクラウスの偉大なキャリアグランドスラム
ゴルフ界でのグランドスラムというのは、年間に最初の4月に開催のマスターズから始まって8月の全米プロ選手権までの4大会を連続ですべて勝利することです。
これを達成したのはボビージョーンズのみです。
しかしボビージョーンズの時代はこのメジャー大会は今とは違います。
当時のメジャー大会というのは
全英アマチュア、全米アマチュア、全英オープン、全米オープンを1年のうちにすべて制覇することを言った様です。
さらにグランドスラムという言葉はこのときに始めてできた言葉ということで、ボビージョーンズという稀代のアマチュアプレーヤーは歴史を作ったんですね。
マスターズトーナメントはボビージョーンズが引退した後に作ったオーガスタナショナルクラブですし、当時は全米プロ選手権はありませんでした。
何しろ1930年のお話ですから。
昭和で言うと昭和5年のお話です。
しかし一年でこのメジャー4勝はかなりのハードルは高いです。
証拠にそれ以降は誰もいないわけです。
そこで年間ではなしに勝利を持ち越してもいいグランドスラムということで、
「キャリアグランドスラム」
という言葉が定着したようです。
要はこのメジャー大会すべてを勝利した選手ということになろうかと思います。
これを達成した選手は5人います。
ジーン・サラゼン(英: Gene Sarazen、アメリカ、1935年)
ベン・ホーガン(英: Ben Hogan、アメリカ、1953年)
ゲーリー・プレーヤー(英: Gary Player、南アフリカ、1965年)
ジャック・ニクラス(英: Jack Nicklaus、アメリカ、1966年)
タイガー・ウッズ(英: Tiger Woods、アメリカ、2000年)
ジャックニクラウスは1966年に達成しています。
1966年の全英オープンを制してキャリアグランドスラムを達成しました。
ただこのなかでも惜しい選手が2名います。
グランドスラム達成に大きくチャンスだったのが
「ベンホーガン」
です。
彼はこの年にマスターズトーナメント、全米オープン、そして最後に全英オープンを制しました。
同年でのメジャー3勝は初めての快挙でした。
そこで全米プロ選手権ですが、これは出場できなかったのです。
その当時のスケジュールでは全米プロゴルフ選手権最終日は全英オープン会期中に設定されたため両方に出場するのは不可能だったのです。
しかも今みたいな移動がジェット機ではなく船の時代です。
イギリスからアメリカに移動するのに一週間を要したそうですから、土台無理なお話です。
しかしこのときはメジャー3勝を祝してニューヨークで凱旋パレードをやって紙ふぶきが舞ったそうです。
それから惜しいのがタイガーウッズ。
タイガーの場合は2000年の全米オープンから2001年のマスターズまでメジャー選手権4連覇を達成してしまったのです。
さてこれをグランドスラムと命名するかどうか?
もめた!
そこでの裁定はグランドスラムとは言わずに
「タイガースラム」
ということに。
う~~ん・・でももうメジャー4連勝なんてでないでしょうね。
ジャック・ニクラウスも出来なかったんですから。
ジャックニクラウスのゴールデンベアー
ゴールデンベアーって言うブランドありますよね。
黄色の熊さんが刺繍してあるポロシャツや、ズボンなんかがありますが、これももともとジャックニクラウスの愛称だったんですね。
ニクラウスは金髪なのでこの愛称がついたということのようです。
ゴルフ用品も結構このゴールデンベアーでは販売されました。
私もポロシャツは持っています。
何気にきていました。
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ジャック・ニクラウスの記憶に残る名勝負
まず第一には1980年のバルタスロールゴルフクラブ・ローワーコースでの第80回全米オープンでの青木功との死闘でしょう。
ショートゲームのマジシャンとも言われた青木功と四日間同組でラウンド。
全米オープンにふさわしい長いラフと狭くくねったフェアウェイと高速グリーン。
距離は本当に長い。
青木が行った。
「たまんないよ・・ショートを除いたほとんどが2打目でおたまじゃくしだよ」
こんな言葉聴いたことがあります。
何しろこの一騎打ちは全米オープンが行われるたびに見せられますから。
グリーンに直接乗るとオーバーしてコントロールできないから俺はバンカー狙いだ!
そうも言ってました。
そしてバンカーに入れて次々にパーをセーブしていく青木のプレーをギャラリーは絶賛したんです。
「東洋の魔術師」
最終日同スコアでトップタイで出たのですが、青木は力尽きたのですが、今でもこのときの全米オープン2位は日本人最高順位です。
次は1986年のマスターズトーナメントです。
このときのキャディーはジャックジュニア。要は息子。
最終日のスコアは、首位と4打差。誰もがこれは無理だろうと思ったのですが、あがってみれば
アウト35、員30の65のラウンド。これには誰もが驚き。
最終日の難セッティングのコースで65。
しかも「46歳2ヶ月23日」の最年長優勝記録を樹立。
“Jack is Back” (ジャック・イズ・バック=ジャックが戻ってきた) の声が響き渡ったというから当然ですね。
ジャックニクラウスのスイングは一種独特です。
誰もがこれはニクラウスとわかる特徴のあるスイングです。
このときの追い上げは驚異的でした。
次は全英オープンにかける思いです。
ジャックニクラウスはセント・アンドリューズのオールドコース開催の全英オープンを”別格”と考えているようでした。
勿論このオールドコースで全英オープンが始まったのですからそれはそうでしょう。
フェウェイにあちらこちらにこぶがあってキャリーのボールが落ちてどこに転んでいくかわからない。
まさに運次第とも言えるコースで、勝利することは技術と運ともに手中にすることの代名詞でもあるわけです。
初めてこのオールドコースで勝ったときは30歳。
ジョージ・ダグラス・サンダースとの18ホールのプレイオフの末に72対73の1打差でセント・アンドリューズ初制覇
この勝利で全英オープン2回目の優勝にはなるのですが、ニクラウスにしてみればこれが本当の全英での初勝利だったのだと思います。
「ここで勝ててはじめて私はメジャーチャンピオンになれたのだ」
と本人は言っています。
ニクラウスはいつも言ってることにこういうことがあるようですよ。
「最も好きなコースはセント・アンドリューズのオールドコース、最も良いコースは全英オープン初制覇の舞台スコットランドのミュアフィールド、人生最後のゴルフをするならペブルビーチゴルフリンクスであると述べている。」
なるほど・・・ですね。
1940年生まれですから現在は75歳ということですね。
しかし引退してからもいっぱい活躍しています。
世界中でゴルフコース作ってます。
日本だけでも何ぼあるんだろ?
いつか数えてみます。
最近韓国で開催されたプレジデンツカップ開催コースも2010年にオープンしたジャック・ニクラスGCクラブでした。
引退してもますます壮健です。
それでこそ真の
帝王ジャックニクラウス!!
帝王ジャックニクラウスのまとめ
メジャー通算 : 18勝(歴代1位)
PGAツアー優勝回数:73勝(歴代3位)
1966年キャリアグランドスラム達成
マスターズに6回も勝ってる。
シニアのメジャータイトルもすべて勝った。
ライバルはあの傘マークで有名な
「アーノルドパーマー」だった。
最近はゴルフコースの設計で名をはせている。
2015年韓国でのプレジデンツカップ開催コースもニクラウス設計コースだった。
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