トムワトソン・メジャー8勝全英オープン真昼の決闘と59歳で魅せた実績

トムワトソンはメジャー8勝のうち全英オープン5勝で有名な全英ターンベリーのニクラウスとの真昼の決闘と59歳で魅せた実績が光ります。
2009年には本当に優勝するかも!!そんな期待十分で私たち中年を奮い立たせてくれた実績は十分です。
トムワトソンはメジャーで8勝しています。内容は下記のようです。
マスターズ 2勝
全英オープン 5勝
全米オープン 1勝
合計で8勝になります。
これは全プレーヤー中というか1860年の全英オープン以来ゴルフの歴史の中ではなんと
「6位」
の成績になります。
ちなみに一位はあの「ジャックにクラウス」で18勝です。
2位はタイガーウッズの16勝です。
トムワトソンは全米プロ選手権のみはどうしても勝てませんでした。
従ってのゴルフの歴史で5人しかいませんが、キャリアグランドスラムは達成はできませんでした。
年間グランドスラムはただ一人
「ボビージョーンズ」です。
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トムワトソンのプロフィール
トムワトソンのプロフィールは下記です。
出身 :ミズーリ州カンザスシティー
誕生日:1949年9月4日(67歳)(2016年現在)
ゴルフ始めた年齢:6歳
賞金王獲得回数:5度
PGA勝利回数 :39勝
PGA以外含む :68勝
メジャー勝利回数:8勝
全英オープン:5勝
マスターズ :2勝
全米オープン:1勝
全英シニアオープン:3勝
出身大学:スタンフォード大学
ゴルフを始めたきっかけはハンディーキャップ0の父親に連れられてカンザスシティカントリークラブで始めたとあります。
然しお父さんがスクラッチプレーヤーとはすごいですね。
中学生の時にゴルフの師といわれるスタン・サースクと出会ったのが大きかったようです。
高校はペンブローク・カントリーディ校でその後になんとスタンフォード大学に進学。
大学ではコミュニケーション、経済学を経て心理学を専攻とあります。
ここで驚きです。
名門スタンフォードです。これはすごいですね。
やはりあれですね・・
頭のいい人はスポーツでもマネージメントがしっかりできるから結果を残すのかもしれません。
1970年に全米アマチュア選手権で5位の資格でマスターズの出場。
1971年に心理学で学士号を取得してスタンフォード大学を卒業
同年11月にプロゴルファーになることを決意!
同年12月のクオリファイ・テストに5位で合格。
1972年からPGAツアーに参戦。この年に賞金ランキング78位
プロ2年目のワトソンが23歳の1973年7月当時18歳であったブルース・エドワーズとーウッドヒルズカントリークラブ運命的な出会い。
この出会いがワトソンのゴルフ人生の大きな転機になったようです。
ブルース・エドワーズをキャディーに採用した試合でいきなりの6位。
この年の通年では賞金ランキング35位に入り翌年のシード権を獲得。
1974年6月にウェスタンオープンで初優勝を飾る。
この年に賞金ランキング10位に躍進する。
1975年5月のバイロン・ネルソンゴルフクラシックで優勝するも、翌年の1976年からバイロンネルソンの指導を仰ぐようになった。
1977年から1980年まで4年連続と1984年と5度の賞金王を獲得
5回優勝した全英オープンとスイングの特徴
フォロースルーの大きなアメリカン打法が持ち味で、弾道は高く高弾道のショット。
ショートゲームはツアー屈指といわれた。
ペブルビーチで行われた1984年の全米オープンで17番でのチップインバーディーはペブルビーチの名場面集でいつも見せられるほど有名です。
「リンクスコースは私の人生そのもの」
という通りに全英オープンでは5勝しています。シニアでの全英オープンにも3勝していますから全部で8勝しているわけです。
言うだけのことはありますね。
ただにクラウスの言う
「全英はセントアンドリュースのオールドコースで勝ってこそ意義がある。」
このセントアンドリュースでは勝っていないのが残念です。
全英オープン勝利5回を含む勝利の舞台裏
かつて青木功は
「理詰めでは対処しきれない、何が起こるかわからない競技」
と表したのが全英オープンでした。
そしてベンホーガンが
「攻めれば地獄、守れば奈落」
と評したのが最難関リンクスコースのカーヌスティ(7065ヤード、パー72)です。
最近では2007年1999年に開催されてるようです。
1999年は6オーバーですね。
2007年は6アンダーです。
1975年のトムワトソンのスコアは5アンダーです。全英オープン含む勝利の舞台裏
舞台はこの「カーヌスティ」での第104回大会です。
くしくもキャディーのエドワーズがパスポート不所持で渡航できなかったために現地で
アルフィー・ファイルズを従えることに。
そして見事に全英オープンでメジャー制覇したわけです。
これが第一回目です。
実はこのアルフィー・ファイルズというキャディーは1968年にゲーリープレーヤーがこの「カーヌスティ」で優勝した時にもキャディーを務めました。
まさにこの「カーヌスティ」を知り尽くしていたキャディーだったわけです。
しかしこれにはドラマがあったんですねえ・
プレーヤーはこの1975年大会には南アフリカの人種差別問題によって黒色人種でラビットという名のキャディを採用したんです。
アルフィーは当然この日はプレーヤーのバッグを担ぐと思っていたのかもしれません。
しかしアルフィーは個人的にも問題が・・
キャディーという職業に理解を得られない妻とつい大会開催前の1っカ月前に離婚。
そこでアルフィー・ファイルズは攻撃的なプレーでまさに上り調子で勝てそうだ!
それでワトソンに「全英オープンで組もう!」
そう手紙を書いたそうな。
そこで見事ワトソンに起用されたということです。
この大会のハイライトはここです。
大会4日目に72ホール目のパーセーブも困難な18番ホール(パー4)で2オンに成功したワトソンが、外すと思われていた15フィートのバーディパットを見事に入れた。
その時点でトップを走っていたジャック・ニュートンと同スコアで首位に並んだ訳です。
まさに最後の最後のチャンスのパットだったわけです。
松山英樹のフェニックスオープンでの18番の5メートルのバーディーパットと同じなわけですね。
そこで翌日にプレーオフ!
7月13日になりますが、その時のプレーオフは18ホールのストロークプレー。
決めたのはやはり最終の18番
ワトソンがカップまで12メートルに2オンして2パットのパー。
ジャックニュートンは2打目をバンカーに入れてしまう。
第3打目はバンカーから出したもののパーパットは3メートルの距離でこれを外してボギーとして勝負は決着した。
スコアは71対72
まさにベストなゲームでしたね。
この年のワトソンは4大メジャー全てでトップ10入りを果たした。
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マスターズ優勝とジャックニクラウスとの真昼の決闘
その2年後の1977年4月のマスターズトーナメントでは、当時プレーヤー専属のキャディーがまだ認められてなかったのですが、2日目に5アンダーで首位に。
その年のライバルのこの人
「ジャックニクラウス」 です。
この時代はまさにジャックの時代です。
その帝王「ジャックニクラウスとの死闘。
最終日はまさにこの二人の決闘さながらでしたが、ワトソンが最終の2ホールで1づつスコアを伸ばして計2打差でマスターズを制覇。
これでメジャー2勝目となります・
そして迎えた7月の全英オープン。
このときのだお106回全英オープンの場所、開催コースはターンベリーです。
キャディーに前回優勝時のファイルズを起用し絶好調だったのですが、このときの相手はまたしてもジャックニクラウス。
このときの対決はまさに
「真昼の決闘」 と言われました。
このときの決勝ラウンドのスコアはすごいです。
ワトソン・・65・65
ニクラウス・65・66
このスコアってすごくないですか?
普通どっちか落ちるもののように思うのですが、この二人の一騎打ちだったのです。
他のプロはもうついていけない状態だったようです。
勝負を決めたのはまたしても最終の18番。
ワトソンは2オンに成功してバーディーパットが2フィート。
ニクラウスはティーショットをラフ。
しかしここで魅せます。
やっとの思いの2打めを何とかグリーンに乗せますが、この35フィートのバーディーパットを入れるんですよ~~
まさに執念の1打ですね。
その歓声が静まらぬギャラリーを制する姿!
このスポーツマンシップも話題になった試合だったようです。
結果はワトソンが勝利のバーディーパットを入れて決着!
まさに真昼の決闘です。
こういった決闘ならぬ名勝負!
今はどうでしょうか?
かなり長くなりましたが、次回に続きます
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