オーガスタの設計者マッケンジー博士とボビージョーンズの関係は?
アリスター・マッケンジーはオーガスタナショナルゴルフクラブの設計者です。
マスターズトーナメント開催のオーガスタナショナルゴルフクラブの設計者アリスター・マッケンジーとボビージョーンズの意外な関係をまとめてみ案した。
インとアウト(バックナイン)の設計はこのマッケンジーから始まった設計です。
9ホール終わってクラブハウスに戻ってくるのは理にかなっています。
毎年マスターズトーナメントが開催される
「オーガスタナショナルゴルフクラブ」
この設計者が
「アリスター・マッケンジー」 です。
正確には共同設計者ということになっているのですが、どうやらこのオーガスタの殆どはこのマッケンジーの設計かと私は思います。
なぜならボビージョーンズはこのマッケンジーのコース理論の心酔者だったからです。
Contents
アリスター・マッケンジーとはどんな人?
経歴ですが全くのゴルフとは関係のない異才といわざるを得ません。
学歴はケンブリッジ大学で医学を学んだとあります。
すごい秀才です。
第二次ボーア戦争時は軍医として参加しています。
この戦争はオランダとイギリスの間の戦争です。
この時のオランダ軍のカモフラージュの戦法にイギリス軍は苦戦!
この時のオランダ軍のカモフラージュが何ともこのゴルフコースの設計に役立ったというから驚きですよね。
米国の「カントリーライフ誌」のゴルフコース設計コンペで優勝して、一躍注目のゴルフコース設計家に!
この時マッケンジーは全くの遅咲きともいえる50歳を過ぎていたようです。
当時の年齢で50歳を超えてからという人生設計は本当に、勇気が言ったことだったのではないでしょうか?
オーガスタはアリスター・マッケンジーとボビージョーンズの出会いから!
この年のボビージョーンズは全米オープンに簡単に負けてしまったために、暇だったんですなあ・
そこで近所の
「サイプレス・ポイント・ゴルフクラブ」
で気晴らしにプレーしていた時にこのサイプレスが非常にきれいで気に入ったとのことです。
そこで誰の設計家といって調べたんでしょうが、ここがアリスター・マッケンジーの設計だったわけです。
このサイプレスポイントはパインバレーに次ぐ世界ランキング2位の超名門コースです。
そしてボビージョーンズの頭の中には、もし自分がコースを作るならマッケンジーという意識が頭から離れないことになっていくわけです。
ただしこれよりも以前にはアリスター・マッケンジーはボビー・ジョーンズに対して自身の著書である
「ゴルフコース設計論」
それとセントアンドリュース・オールドコースの測量をもとにした図面を渡していて、彼はいつもそれを仕事の弁護士事務所に飾っていたというからこれ尾もまた驚きのエピソードですね。
いずれオーガスタに向けて驚きの運命的な出会いがあったわけです。
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アリスター・マッケンジーのオーガスタの設計思想
マッケンジーのオーガスタの設計思想は下記のようですね。
いずれも今では当たり前の思想のような気もしますが、当時では画期的だったのかもしれません。
1 誰もが楽しめるコース
初心者から上級者までの誰もが楽しめるコースであること。
しかし現在は初心者ではこのコースを回ることは無理っぽいですが・・
2 コースの美しさ
すごく美しいです。
申し分がないですよね。
3 ラフやブッシュなどのわずらわしさがないコース
確かにラフは短いですし、ブッシュも少ないのでロストボールの確率は低いです。
4 錯覚を持たせるコース
これはすごいですよね。
オーガスタには魔女が住むといわれるほどです。
特にアーメンコーナーの11,12,13番はトリッキーです。
5 誰もがもう一度行きたくなるコース
勿論言ったことはもちろんないですが一度行った方はまた行ってプレーしたいと思うはずです。
6 フロントナインとバックナインを始めて考案したコース
これは全く知りませんでした。
それ以前はどんどん18ホールを進むのみだったようです。
インとアウトの考え方です。
今では一般的な普通の考え方が実はマッケンジーの考え方であって、9ホール終わってクラブハウスに戻ってくるというのは、まったく理に適っていると思います。
そしてインを無難にこなしてきたプレーヤーが、バックナインでオーガスタの餌食になるのは何度もドラマで見てきました。
ノーマンはこれでファルドに負けたといっても過言ではないですね。
パサティエンポGCはアリスター・マッケンジーの最後の住居
モントレー半島の北へ35マイルほどのところにあれスター・マッケンジー博士設計の名コースでもある
「パサティエンポGC」
があります。
マッケンジー博士はここのコースの設計者であって、このコースをこよなく愛していたとのことです。
マッケンジー博士にこのコースの依頼をしたのは
「マリオン・ホーリンス女史」
で1921年全米女子アマ・チャンピオンで、ぺブルビーチ・リゾートの開発責任者だった人です。
あの有名な「サイプレスポイントGC」(開場は1928年)も設計依頼したのは彼女のようですね。
晩年はほーリンス女史もマッケンジー博士もこのコース内の一角に住居を構えてここで暮らしたということです。
6番ホール脇の林の中にあるコテージは今でもあって、ホーリンスの家はパーティ・ルームとして利用されているとのことですから、何とも素晴らしいお話です。
マッケンジー博士は死後このコースに遺灰を巻くように依頼。
遺言通りにこのコースに撒かれたとのことです。
この人生いかが思いますか?
マスターズトーナメント・オーガスタのことは名勝負までここで完結
マスターズの歴史から名勝負編までの紹介です。
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