ペイン・スチュワートとリージャンセンの1998年因縁の全米オープン
ペイン・スチュワートとリージャンセンの1998年因縁の全米オープンと悲願の優勝までの歴史を書いていきます。
スチュワートとジャンセンは2回全米オープンで優勝争いをして2度ともスチュワートの負けです。
しかしジャンセンもメジャーはスチュワートに勝った2回優勝のみです。
これもまた因縁を感じますね。
ペイン・スチュワートとリージャンセンの1998年因縁の全米オープンと悲願の優勝までの歴史
前回の続きです。
私の大好きなペイン・スチュワートとリージャンセンの2回目のバトルは1998年になります。
1998年の全米オープンの舞台はカリフォルニア州サンマテオ郡デーリーシティにある
「オリンピック・クラブのレイク・コース」
難コースで有名で、優勝スコアはイーブンパーです。
残念ながら私はこの年のこの全米オープンを見る機会がありませんでした。
要は仕事で見れなかったのです。
でも後でばっちり最終日の様子はビデオでチェックしました。
が、しかし正直見てられませんでした。
いつものペイン・スチュワートらしくないプレーで、スコアを落としていく最終日はどうしたんだろう?
そんな感じでした。
これと同じことがマスターズのずいぶん前のことですが、グレッグノーマンの例ですね。
この時はライブで見ていましたが、とても見ていられませんでした。
最終組でスタートして誰もがノーマンの優勝を確信していたのに・・
それと同じようなことがやはり全米オープンでトム・カイトが優勝した時のギル・モーガンの例です。
勝負の神様は非常なものです。
歯車が狂いだすとどんどんボギーが先行していく。
止められない。
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ペインスチュワートは最終日のギヤを巻き戻せなかった?
この1998年の全米オープンの最終日には誰もがペインスチュワートの優勝だと思っていた。
だって2位に4打差以上つけていた。
何とリージャンセンとは5打差もあったのですから、これは楽勝で決まり、みたいな感じでした。
終わってテレビのニュースでジャンセン優勝を知ったのです。
「え?なんで?」
私の中ではそうでしたね。
ジャンセンとの差は5打差。
最終日のスタート時点で5打差です。
殆どこのダークホースはない!
そう思うのが適当かと思いますが、そうならないのがゴルフなんだなあ。
その日リー・ジャンセンは68でー2でラウンド。これでトータルがイーブンパーです。
スチュワートはこの日74と崩れて+4トータルでは+1
1打差で逆転を許してしまった最悪のゲームでしたね。
あのショットの正確なペインスチュワートをしても苦しめた、しかも優勝スコアがイーブンパーという超難コースセッティングがこの日のスコアになったのだと思います。
紙一重のショットのいたずら、バウンドのいたずらや、カップの位置での微妙なアンジュレーションを読み切れなかった。
書けば何でも書けますが、やるほうはそれなりにギヤがかみ合わない事態に困惑しっぱなしだったのではないかと思います。
しかし、またしてもリー・ジャンセンにやられたわけです。
前回の1993年のバルタスロールでは2打差。
最終ホールの勝負をかけた2番アイアン。
勝利の女神はなかなか微笑んでくれない非情を感じます。
いずれにしてもジャンセンが優勝したとしてもそれは、コースセッティングを行った、「オリンピック・クラブ・レイク・コース」の勝利でもあるわけです。
全米オープンの目標スコアは
「0」
だと聞いています。10アンダーなんてコースのセッティングがおかしい。
やるほうは問題でも、コースの目標はあくまでも
「0」
1998年の大会はその通りの結果になりました。
この時の出場選手のスコアを見るともうこの2名を除けばボロボロです。
難しすぎる、難コースすぎる、セッティングがおかしい?
そんなことをいうプロはプロではないと思います。
セントアンドリュースのオールドコースがいい見本ではないでしょうか?
あるがままのコースがゴルフの基本なのでは。
半面難コースならばこその
「ペイン・スチュワート」
なのです。惜しくも優勝は逃してもやはりその実力はこの難コースで発揮された、そう私は思います。
しかし反面リー・ジャンセンもそうです。
難コースならではの実力発揮!
それ以降ジャンセンの優勝がないのがちょっと寂しいですね。
シニアで初優勝・・なんて活字いつかどこかでネットで見たような気がしたのですが、定かではないです。
調べればわかるかもしれないですね。
次回に続きます。
全米オープンの名勝負と開催コース紹介とさらに歴史などの紹介をまとめてみました。
まだまだ不足なのですがとりあえず・・さらに追加していきます。
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