サラゼンブリッジはオーガスタ15番の橋!アルバトロス達成を記念!

マスターズトーナメント開催のオーガスタナショナルGCの15番左サイドに架かる橋を
「サラゼンブリッジ」
といいます。
マスターズトーナメントを、メジャー大会として、不動のトーナメントと位置づけする、キッカケになった1935年大会の「ジーン・サラゼン」のダブルイーグル(アルバトロス)を記念して、15番ホールに建設された記念すべき橋です。
1935年というとまだ名称はマスターズではなかったですよね。
その当時は
「Augusta National Invitation Tournament」
と称していたようです。
マスターズトーナメントいうのは1939年大会からの名称です。
ここを通るときには選手に、間近に座るパトロンからの大歓声が送られます。
マスターズのエピソードですが・・・
元々ボビージョーンズ自身がこのマスターズという名称は嫌いだったのですが、名言碌にこのような言葉があります。
「マスターズなどという、おこがましい名称には反対だ。」
しかし共同で主催した実業家の友人のクリフォード・ロバーツの提案で
「マスターズ」
となったようですね。(ある画策もあったようです)
ジーンサラゼンのダブルイーグル(アルバトロス)の瞬間は?
さてそれはいいとしてサラゼンのその時のプレーはどうだったのでしょうか?
振り返ってみようと思います。
時は1935年のマスターズ第二回大会です。
ジーンサラゼンは、その大会の最終日のバックナインで、大きくリードされていました。
その時のトップが、クレイグ・ウッドという選手。
クレイグは18番でバーディーを取ってホールアウト。
そのジーン・サラゼンは、15番をプレー中で3打のリードを、許していたということです。
15番はパー5のロングホール。
サラゼンは、まだロングホールここでイーグルなら、まだチャンスはある!
そう思ったか、どうかは私は知りませんが、第二打を確か235ヤードを4番ウッドで打った。
それが直接カップインしてダブルイーグル。
「アルバトロス」です。
ここで、クレイグ・ウッドに並んだわけです。
翌日のプレーオフに持ち込み、勝利するという劇的なメイクドラマを演じたわけです。
サラゼンのコメントは
「ショットそのものよりも、このショットを打つために費やした膨大な練習量を誇りに思う」
偉大です!
マスターズのドラマチックな演出は、ここから始まったといわれているようです。
要するに、そのコース設定にあるということですね。
インとアウトが逆なら、こういうドラマは生まれないわけです。
こういったコースレイアウトだからなしえた、ありえたドラマであって、アーメンコーナーも含めて、勝利の女神がどちらに微笑むかはそのバックナインの11番からが、ドラマたりえるのだということですね。
*アーメンコーナーはこの時点ではそういわれてはいません。
初めてアーメンコーナーという言葉が出たのは、1958年からです。
設計したボビー・ジョーンズと、ゴルフコース設計家アリスター・マッケンジーの意とするのは、こういうドラマが生まれるコースだったのだと思います。
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