ペイン・スチュワートとリージャンセンの1993年バルタスロールの全米オープン
ペイン・スチュワートとリージャンセンとの因縁の全米オープンと悲願の優勝のバトル。
大好きなペイン・スチュワートとジャンセンの1993年と1998年の全米オープンゴルフでのバトルと、1999年の悲願の全米オープンでの優勝でメジャー大会3勝を上げたスチュワートへの思いです。
ペイン・スチュワートほど私が大好きなゴルフプレイヤーはいません。
本当はいの一番にこのスチュワートの記事を書くべきなのですが、どう書いたらいいか・・
自分の中でまとめ切れなかったのです。
「ペイン・スチュワート」
このゴルフプレーヤーは私がゴルフを始めた頃に、BSで放送していたアメリカのPGAツアーでは頻繁にトップグループをひた走っていた方です。
なぜか難しいコースほど優勝争いをする、そんなイメージです。
スイングがゆったりしていてスイングアークが大きいです。
ゆったりしていても飛ぶんですねえ。
まあしかしこのクラスのかたがたは飛距離なんてそんなに重要ではありません。
すべてのクラブで性格に数ヤード圏内にボールを運ぶ技術があれば問題ないのです。
しかしそれが至難の業であることは、トッププロならず殆どのプロが知って、認識しているはずです。
その中にあってその正確性が抜群だったのが、この
「ペイン・スチュワート」
であったと私は思っています。
ただだからと言ってすべての大会で優勝できるのかというと、話はまた別な次元だと思います。
例えば正確さがあっても微妙なバウンドや傾斜、風、運と言うのもあります。
そのすべてにわたって冴えていたのが
「ジャックニクラウス」 や
「タイガーウッズ」
だったのでしょう。
もしって仮定の話ですが、ペイン・スチュワートが1999年の飛行事故で亡くならなかったら少なくとも、その当時のタイガーウッズの独走を阻んでいたかもしれません。
私はそう思います。
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ペイン・スチュワートとリージャンセンとの因縁の全米オープン
この2人のトッププロは2回優勝争いをしています。
私が見ていたのは1993年のバルタスロールゴルフクラブでの全米オープンです。
このコースは有名なコースでかつてジャックニクラウスと青木功が死闘を繰り広げたコースでもあります。
その時青木功は2位でした。
そのときのあのジャックニクラウスの青木の最終パットを待たずにギャラリーが祝福するのを制して青木の最終パットを見守った、あのシーンはさすが
「ジャックニクラウス」です。
そのコースでペイン・スチュワートとりージャンセンが激突したのが1993年の全米オープン。
スコアは一進一退で最終ホールにもつれ込みました。
その時点でジャンセンの2打差でリードだったと思います。
ともにティーショットはフェアウェイ。
スチュワートは残り確か230くらいだったと思います。2オン狙って持ったクラブは
「2番アイアン」
そのショットが僅かにバンカーのあごを超えられずにバンカー。
対するジャンセンはレイアップ。
その時にブーイングだったねえ・・・確か。
全米オープンチャンピオンにふさわしくない!
チャンピオンは逃げてはいけない!
そんなところでしょうか。しかし結果は結果です。
結果はそのまま2打差でリージャンセンの優勝でした。
この2番アイアンのショットはしびれましたねえ。
のせて最初にジャンセンにプレッシャーをかけていたら???
なんてね・
次回に続きます
全米オープンの名勝負と開催コース紹介とさらに歴史などの紹介をまとめてみました。
まだまだ不足なのですがとりあえず・・さらに追加していきます。
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