ジェイソンデイ 全米プロ選手権涙の優勝の裏に隠された感動秘話その1

ジェイソンデイ・全米プロ選手権涙の優勝の裏に隠された感動秘話その1です。

貧困の底にいた幼少期に、廃品の中から拾った一本の3番アイアンが彼の魔法に杖になった、ゴルフとの接点はそこからでした。
父との別れで狂った歯車を戻したは母の存在だったようです。

昨年のメジャー最終戦の全米プロ選手権でメジャー初制覇をメジャー採食記録を更新する20アンダーというスコアで優勝したジェイソンデイの優勝のパットを決めた瞬間に泣き崩れたシーンはまさに感動的でした。

なんで?

その生い立ちを知っている方には感極まるシーンでしょう。

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ではジェイソンデイの幼少期や生い立ちはどういう状況だった?

ジェイソンデイの幼少期やその生い立ちは

ある意味その時に優勝争いをしたジャーダンスピースに似ています。
彼もまた大学を生活をするために中退した経験がありますから。

多分ジョーダンスピースはそれを知っているから、ある意味応援しながらプレーしていたようなそんな所作も見えました。

残り数ホールでのデイのパットが寄ると指を立てて

「ナイスパット!」

そう言っているような感じがしていました。

ジェイソンデイの幼少時期はどうだったのか?

普通の方は普通の生活の中でゴルフをして育って、そして目指せばそこで努力して才能があれば成功します。

例えばアーノルドパーマーやトムワトソンは普通の一般的な階級の家庭の出身です。

ジャックニクラウスは上流階級の出身ですが、そういう方はまず稀です。

それとジェイソンデイのような這い上がってくるサクセスストーリーもあります。

勿論ジョーダンスピースも。

ジェイソンデイが生まれたのはオーストラリアのクイーンズランド州の山間の町のボーデザートという処です。

お父さんはオーストラリア人でアルビンさん、おかあさんはフィリピン人のでニングさんといいます。

3人姉弟なのですが、末っ子でお父さんにはとにかくかわいがられたといいます。

3歳の時にゴミ捨て場から拾った3番アイアンとのであい、それがジェイソンデイのゴルフとの接点ですべての始まりだったようです。

自分の背丈よりも長いそのクラブで球を打った時に、音を立てて自宅の門を突き抜けていたっといいますからすごいですね。

当然お父さんは

「彼はいつかゴルフのチャンピオンになる」

そうデニングさんに言ったそうです。

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(出典元:https://toyokeizai.net/articles/-/80975)

お父さんは精肉工場で働いていて生活は貧しく裕福とは全く言えない環境だったようで、新しい服は買えなかったとデイは言っているようです。

学校ではアジア系はデイだけで色が黒いので難民扱いを受けたこともあったそうです。

ところが彼には3番アイアンという魔法の銀の杖があったんですね。
このクラブを暇さえあれば庭で振っていたそうです。

しかもお父さんと一緒に。

お父さんは日に日にもしかしたらこいつは大物になるのではないかと確信していくことに。

でもそれはデイのたゆまぬ努力のたまもの!

経済的に余裕は全くなくとも父は質屋でデイが8歳の時にフルセットを購入!

そして近くのカントリークラブのジュニアメンバーに入れてくれたそうです。
両親と二人の姉は何時でもデイの楽しみを優先させてくれるよき理解者だったんですね。

小学生の時は毎日何時間もそのフルセットで練習。
気が付くと週に32.5時間もクラブを振っていたというから驚きです。

その時のことをデイはこういっています。

「フルセットのゴルフクラブを持ち、ゴルフ場で練習をするから、僕たち一家は金持ちなんじゃないかって噂されたけど、そうじゃない。すべて家族の犠牲の上で、僕はゴルフを練習していたんだ」

このゴルフができるという環境は本人にとってはかけがえのない環境だったわけです。

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ジェイソンデイの最初の転機・父との別れ

転機が訪れるのは12歳の時。

お父さんが突然倒れて余命数ケ月という病気に。

その後はピタリとゴルフはやめてしまったデイ少年!
ゴルフどころかなにもやる気が起きなかったようだった・・
そうデニングさんは言っているようですね。

そこでお母さんが思い出したのがお父さんの言葉・・

「夫は生前、息子をゴルフで有名な全寮制の私立高校に入れると言っていて、ジェイソンもそれを目指してがんばっていたんです。それが父を亡くし、家計に余裕がなくなったから、彼は(家計の負担になる)ゴルフを止めたんだと分かったんです」

お父さんがデイを入れたかったのはゴルフのエリート校の

「Kooralbyn International School」

ここは今大活躍中のアダムスコットを輩出したことでも有名なゴルフスクールです。

ゴルフってお金がかかるスポーツですよね。
ただでさえ貧乏な生活の状態でそんな学費の高い学校にうちが入れてあげることができるのか?

でもそれをやらないと、デイはゴルフというこの一度夢中になったステージから降りてしまう、それは阻止したいと思ったそうですが、これは親ごころでしょう。

そこで意を決して家を抵当に入れて学費を捻出することに。
当時のデイ少年は家を抵当に入れるということがどういうことか理解できたかどうかは別にしても、家がなくなったという事実はショックだったようですね。

そしてデイは立派な学生寮に。
家族はまたまた貧しい生活に。

しかしデニングさんは当時はお金のことよりも家族が引き裂かれる方が、そのことの心配のほうが大きかったと言っています。

しかし12歳のデイ少年は自分のために母や姉を犠牲にしている、という自責の念に駆られたといいますが、そういう感情は当然ですね。

だんだん荒んでいくようになったといいっます。

友人の話は週末に何して遊ぶ?
彼女とはうまくいっているかい?

そんな話が飛び交ういわゆるデイとは全く生活レベルが違ってる周囲の環境!

荒んでいっておかしくないかもしれないですよね。
だんだん練習は仲間とではなく一人で離れてするようになっていったとあります。

時には寮を抜けだしたり、コーチともめ事を起こすような事態にも。

次回に続く

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