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	<title>ゴルフ史上稀代の名プレイヤー達に関する記事一覧 &#8211; ゴルフを愛するサボリーマンの下手の横好き日記</title>
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	<description>ゴルフを始めて28年になるサラリーマンゴルファーのゴルフ日記と話題を紹介していきます。</description>
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	<title>ゴルフ史上稀代の名プレイヤー達に関する記事一覧 &#8211; ゴルフを愛するサボリーマンの下手の横好き日記</title>
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		<title>ジョーダンスピースのプロフィールとゴルフを始めたきっかけのお話！</title>
		<link>https://argoruf.com/3706.html</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[gorfsukiojisan]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 19 Jun 2016 01:30:25 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[ゴルフ史上稀代の名プレイヤー達]]></category>
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					<description><![CDATA[ジョーダン・スピースのプロフィールと、ゴルフを始めたきっかけについて書いてみようと思います。 世界ランキングのビッグ3の一員で勿論1位の経験者です。 ...]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>ジョーダン・スピースのプロフィールと、ゴルフを始めたきっかけについて書いてみようと思います。</p>
<p><strong>世界ランキングのビッグ3の一員で勿論1位の経験者です。</strong><br />
<span style="color: #ff0000;"><strong>マスターズと全米オープンのメジャー2冠！</strong></span><br />
しかしプロになったきっかけや、ジュニア時代はあまり知られていないようです。</p>
<p>プロになった心情はまさに有言実行の方です！<br />
<span id="more-3706"></span></p>
<p>2016年6月18日現在の成績<br />
世界ランキング2位<br />
賞金ランキング3位<br />
平均パット数1位<br />
バーディー奪取数1位</p>
<h3 class="news_headline1">ジョーダンスピースのプロフィールとゴルフを始めたきっかけ</h3>
<p>ジョーダンスピースが生まれたのは1993年7月27日です。<br />
ですから今（2016年）22歳で誕生日が来て23歳ということになります。</p>
<p>生まれたのはテキサス州ダラスという処で、なんか以前だいぶ前には世の中を震撼させる事件があったところですね。</p>
<p>お父さんはスポーツ選手でしたが、コンピューターソフト関連の仕事をしていたようです。<br />
このお父さんが大のゴルフ好きで、スピースとあとで生まれる弟の二人を連れて、ゴルフ観戦に機会があれば連れて歩いたそうです。</p>
<p><a href="https://i0.wp.com/argoruf.com/wp-content/uploads/2016/06/supisu.gif?ssl=1"><img data-recalc-dims="1" fetchpriority="high" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-3707" src="https://i0.wp.com/argoruf.com/wp-content/uploads/2016/06/supisu.gif?resize=400%2C224&#038;ssl=1" alt="supisu" width="400" height="224" /></a><br />
（出典元：https://toyokeizai.net/より引用）</p>
<p>自然とスピース本人もゴルフをやるようになったのは、これは運命ですね。</p>
<p>スピースが衝撃的だった出来事は7歳の時に、ダラスでの大会、バイロンネルソン選手権での観戦の時のこと。<br />
ミケルソンのボールがグリーン奥の芝にこぼれたのですが、それがなんとスピース親子の目の前！</p>
<p>お父さんは</p>
<p>「ショットの邪魔になるでしょうから子供たちをどかせましょうか？」</p>
<p>するとミケルソンはスピース本人に</p>
<p>「じっとしていられるかい？」</p>
<p>「イエス」</p>
<p>と答えるとミケルソンはそこから寄せてパーをとった後に、スピース本人に、</p>
<p>「じっとしていてくれて、ありがとう」</p>
<p>といったそうです。<br />
<strong>こんなエピソードあったんですねえ。</strong></p>
<p>ミケルソンらしいというか、真のスポーツマンというのはこういった、さりげないやさしさのようなものがあって、しかるべきなんだと思います。</p>
<p>父親がその時の様子を</p>
<p><strong>「まるでジョーダンは雷に打たれたような顔をしていた」</strong></p>
<p>そう振り返っていたそうです。</p>
<p>この時のことがジョーダンスピースをまさに、プロゴルファーに押し上げていく原動力になったようですね。</p>
<p>この7歳の時に妹のエリーが誕生したのですが、不幸にも障害があるためになかなか一緒に暮らせなかったようです。</p>
<p>しかしこの7歳を境にして、ジョーダンスピースはゴルフにのめりこんでいくようになったのですね。</p>
<p>ほかの友人たちが映画やプールに遊びに出かけてる最中にも、わき目も降らずにゴルフにのめりこんで、まるで何かにとりつかれたようにゴルフ場で練習に明け暮れたそうです。</p>
<p>一人で練習に明け暮れていても、スピースは不幸かといえば全く逆で、すごく幸せ感を感じていたそうです。</p>
<p>ただ、スピース家には、ジョーダンをジュニアゴルフ界で支えるだけの資金的な余裕は、なかったんですなあ。<br />
その為にスピースは奨学金というかその援助団体の援助を受けることに。</p>
<p>AJGA（米国ジュニアゴルフ協会）とその協力財団「ザ・サンダーバード」がその受け皿になったわけです。</p>
<p>この財団は将来有望なジュニアゴルファーを、育てるためにその資金援助を行う財団ということです。</p>
<p><strong>さて日本にはこのような財団ってあるんだろうか？</strong></p>
<p>聞いたことはないなあ。</p>
<p>この時にスイングコーチだった方が</p>
<p><strong>「キャメロンマコーミック」</strong></p>
<p>さんという方です。</p>
<p>[ad#ad1]</p>
<h3 class="news_headline1">初めてのツアーバイロンネルソン選手権に出場とプロ転向</h3>
<p>転機がおとずれたのは16歳の時です。<br />
2010年のバイロンネルソン選手権にこのマコーミックさんの推薦で出場できることになったのです。</p>
<p>勿論初めてのツアー選手権に出場できるのですから、こんな大きなチャンスはないわけです。</p>
<p>この試合では悪天候にもかかわらずジョーダンスピースはなんと名だたるプロに交じって</p>
<p><span style="color: #ff0000;"><strong>「16位」</strong></span></p>
<p>という成績でした。</p>
<p>そしてスピース本人がプロに転向したのが、この2年後の18歳で大学生の時でした。<br />
勿論大学は中退しました。</p>
<p>プロになった原因は、苦学です。<br />
大学に入学した時点でこの財団からの援助は、打ち切りになったようです。（ジュニア限定なので・・・）<br />
大学でゴルフをやらせてもらえるような、しかもそういった経済状況にはとてもなかったというのが、本当のところだったようですね。</p>
<p><strong>プロに転向した理由はひとえに、この貧困から脱出する！</strong></p>
<p>此れだったようです。</p>
<p>大学はテキサス大学で、数々のNCAA（全米大学体育協会）のタイトルを獲得したスピースですが、経済的な困窮から脱するためには、プロに転向して稼ぐしかないと悟ったようです。</p>
<p>本人の弁です</p>
<blockquote><p>「あのころの僕は、それはそれは貧しかった。プロになってマスターズに出ることは子供のころからの夢だったけど、あのころは夢のためではなく、生活費を稼ぎたい一心で、一刻も早くプロになろうと思い立った。失うものは何もない。賭けに出よう。そう思って僕はプロ転向を決意した」</p></blockquote>
<p>そこで問題になったのがキャディーです。<br />
プロのキャディーなんて雇えるべくもないですからね。</p>
<p>そこで頭にすぐに浮かんだのが現キャディーの</p>
<p><strong>「マイケル・グレラー」</strong>　さん。</p>
<p>この方はスピースが2011年に全米ジュニアチャンピオンになって、全米オープンに繰り上げで出場した時に、バッグを担いでくれた方です。</p>
<p>接点は親友のジャスティントーマス選手の紹介です。<br />
然しなんとスピースの大胆なお願いは…</p>
<p><strong>「教師を辞めて自分の専属キャディーになってほしい」</strong></p>
<p>グレラーさんは結婚間痔かでどうするか悩んだそうですが、ジョーダンスピースという、この若者の可能性にかけたんだと思います。</p>
<p>ほどなく学校に辞表を提出して、ここにジョーダン・スピースと、マイケル・グレラーさんの二人三脚が始まったわけです。</p>
<p>2013年の春からＰＧＡのノンメンバーでツアーに参加するのですが、シード権なんてもちろんあるわけでなし、自分がプロ宣言しただけですから、ツアーへの出場権もなし！</p>
<p><strong>希望はスポンサー推薦と、マンデートーナメントからの勝ち抜き戦！</strong></p>
<p>がしかし実力は本物でしたね。<br />
マンデーで勝ち上がって、10位以内に入ると翌週の出場権があるわけです。</p>
<p>そこで7月についに<span style="color: #ff0000;"><strong>ジョンディア・クラシックで初優勝</strong></span>したわけです。<br />
そうなると翌年のマスターズ出場権と、自然に向こう2年間のツアーシード権も獲得。<br />
はれて<span style="color: #ff0000;"><strong>ＰＧＡのツアーメンバー</strong></span>にもなったわけです。</p>
<p>翌年の2014年のマスターズの初出場では、優勝争いしたもののバッバワトソンに僅差で負けるわけですが、その翌年2015年のマスターズでは雪辱を果たして優勝！</p>
<p>メジャーチャンピオンの誕生です。<br />
そしてチェンバーズベイの全米オープンも制覇してメジャー2冠。<br />
2015年にはその勢いで世界ランキング1位に輝きました。</p>
<p>まさにサクセスストーリーですね。</p>
<h3 class="news_headline1">ジョーダン・スピースの精神力の強さの原点</h3>
<p><strong>ここまでジョーダンスピースを押し上げたものはんでしょうか？</strong></p>
<p>ゴルフってメンタルなスポーツとはよく言われます。<br />
かのボビージョーンズはストロークはめっぽう強かったのですが、そのジョーンズをしてもマッチプレーはからっきし弱かったそうです。</p>
<p>そこで彼は悩んだのですが、そこでたどり着いた結論が</p>
<p><strong>「オールドマンパー（アンクルパー）」</strong></p>
<p>の考え方です。<br />
<a href="https://argoruf.com/2636.html">ボビー・ジョーンズのオールドマンパーはハリー・バードンがきっかけ！</a></p>
<p>この考えが適当なのかどうかはわかりませんが、何事にも左右されない極めて強靭な精神というのは、どれだけ逆境に身を置いてきたかということの、裏返しでないかと思うわけです。</p>
<p>赤貧状態んから脱したいと考えた大学の時の苦労が、「オールドマンパー」を会得させたといっても過言ではないかもしれないと思うのですが、皆さんはどう思いますか～～</p>
<p>ゴルフってよく人生にもたとえられますが、そういったことを考えるにつけ、ドラマだなあ・・などと思うのです。</p>
<p>今年2016年のマスターズは、<strong>すわ連覇確実！</strong></p>
<p>という処まで行ってあのまさかの池ポチャ！<br />
ニクラウス曰く、</p>
<p><strong>「今の時期あれを経験することは必ず彼のためにはプラスに働くことは間違いない！」</strong></p>
<p>こういうことを言っています。<br />
経験はバネになるんだ！<br />
そう言ってるような気がします。</p>
<p><a href="https://argoruf.com/2957.html">ジョーダンスピース・プロフィールや使用クラブとパター他のまとめ</a></p>
<p>これからもどんどん活躍すると思いますが、応援してますよ～～～</p>
]]></content:encoded>
					
		
		
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		<item>
		<title>全米オープンとジャックニクラウスの名勝負・死闘のエピソード</title>
		<link>https://argoruf.com/3672.html</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[gorfsukiojisan]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 14 Jun 2016 09:33:02 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[ゴルフ史上稀代の名プレイヤー達]]></category>
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					<description><![CDATA[全米オープンでのジャックニクラウスの名勝負の数々と、死闘のエピソードを紹介します。 ジャックニクラウスと言えば、メジャーでの最多勝利記録と、キャリアグ...]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>全米オープンでのジャックニクラウスの名勝負の数々と、死闘のエピソードを紹介します。</p>
<p><strong>ジャックニクラウスと言えば、メジャーでの最多勝利記録と、キャリアグランドスラムを3回、トリプルグランドスラムを達成している、ゴルフの歴史を作った名プレーヤーです。</strong></p>
<p>そうである以上、メジャー大会の全米オープンとは切っても切り離せない、伝説のプレーヤーなわけです。<br />
<span id="more-3672"></span></p>
<p>ジャックニクラウスはメジャーで18勝のゴルフ界で一番メジャー大会を勝ったプロです。</p>
<p>しかも<span style="color: #ff0000;"><strong>キャリアグランドスラムを3回</strong></span>やっているとんでもない記録の保持者であるわけです。</p>
<p>ちなみに2位はタイガーウッズの14勝です。</p>
<h3 class="news_headline1">ジャックニクラウスとオークモントの関係は？</h3>
<p>今年（2016年）のメジャー大会第2戦の</p>
<p><strong>「全米オープンゴルフ」</strong></p>
<p>が行われるのは</p>
<p><strong>「オークモントカントリークラブ」（オークモントCC)</strong></p>
<p>です。</p>
<p><a href="https://argoruf.com/1953.html">オークモントCCでの全米オープンは8回開催でメジャー大会の権威の象徴！</a></p>
<p>ここオークモントはジャックニクラウスにとっては、絶対に忘れられないコースであるはずです。</p>
<p>なんで？</p>
<p>というのは1962年に、このオークモントで一番最初にメジャーに勝利した全米オープンだったからです。</p>
<p>18勝の起源が、歴史がここから始まったわけです。<br />
しかも相手は並み居る強豪をなぎ倒して君臨する</p>
<p><strong>「アーノルド・パーマー」</strong></p>
<p>なわけです。</p>
<p><a href="https://i0.wp.com/argoruf.com/wp-content/uploads/2016/03/nikuraius001.jpg?ssl=1" rel="attachment wp-att-2533"><img data-recalc-dims="1" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-2533" src="https://i0.wp.com/argoruf.com/wp-content/uploads/2016/03/nikuraius001.jpg?resize=400%2C258&#038;ssl=1" alt="nikuraius001" width="400" height="258" /></a><br />
（Golden Bear公式サイトより引用いたしました）</p>
<p>驚くべきことにジャックニクラウスは、この時には副業をやっていたそうですよ～～</p>
<p><strong>なんの？</strong></p>
<p>保険のセールスだそうです。</p>
<p><strong>なんで？</strong></p>
<p>まだゴルフで食っていけるかわからなかったからだそうです。<br />
勿論次の年（1963年）からはやめたそうですが・・</p>
<p>然し最終日に最終ホールのパーマーのパットは3メートル。<br />
これを入れればパーマーの勝利なのですが、これが外れるんです。</p>
<p>そこで次の日の18ホールのプレーオフ。<br />
結果は3打差での勝利。</p>
<p>パーマーが74でニクラウスが71です。<br />
ここからメジャー大会での快進撃が始まるわけですね。</p>
<p>[ad#ad1]</p>
<p>パーマー曰く・・・</p>
<blockquote><p>「あの大きいやつは今、ケージから抜け出したところだ。<br />
みんなやつを追いかけた方がいい。」</p></blockquote>
<p>そのころからあだ名がベアーだったのですね。</p>
<p><a href="https://argoruf.com/2529.html">全米オープン名勝負ジャックニクラウスとパーマーの1962年の対決</a></p>
<h3 class="news_headline1">ジャックニクラウスの全米オープンの名勝負と言えば？</h3>
<p>ジャック・ニクラウスの名勝負と言えばやはり1980年のバルタスロールの</p>
<p><strong>「青木功との死闘」</strong></p>
<p>でしょう。<br />
これは名勝負として何度もあのシーンは魅せられています。<br />
今年も大会期間中のハイライトシーンで何度も見せられると思いますよ～～</p>
<p><a href="https://argoruf.com/2450.html">全米オープン名勝負・青木功とジャックニクラウスのバルタスロールの死闘</a></p>
<p>後は1982年のあのペブルビーチでの</p>
<p><strong>「トム・ワトソン」</strong></p>
<p>の17番のチップインです。<br />
このチップインで勝負あったですね。<br />
あのワトソンがグリーン上をかける姿は、これも何度も見せられました。</p>
<p><a href="https://argoruf.com/2770.html">全米オープン名勝負・トムワトソンペブルビーチ17番のチップインバーディー</a></p>
<p>まさにメジャー大会ではなくてはならない歴史を紐解くにはもうこの方しかいないという、ある意味ゴルフ界の宝のような方だと思います。</p>
<p><a href="https://i0.wp.com/argoruf.com/wp-content/uploads/2016/03/nikuraius000.png?ssl=1" rel="attachment wp-att-2532"><img data-recalc-dims="1" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-2532" src="https://i0.wp.com/argoruf.com/wp-content/uploads/2016/03/nikuraius000.png?resize=400%2C449&#038;ssl=1" alt="nikuraius000" width="400" height="449" /></a><br />
（Golden Bear公式サイトより引用いたしました）</p>
<p>キングと帝王のビッグなコンビが今年からマスターズのスターターで見られなくなったのは残念なことです。</p>
<p><a href="https://argoruf.com/3059.html">ゴルフ全米オープン名勝負と開催コースと歴史の紹介のまとめ</a></p>
<p><strong>さて今年の全米オープンも楽しみましょう！</strong></p>
]]></content:encoded>
					
		
		
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		<item>
		<title>全英オープン開祖のトムモリスシニアはオールドコースに人生を捧げた</title>
		<link>https://argoruf.com/3035.html</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[gorfsukiojisan]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 21 Apr 2016 12:42:26 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[ゴルフ史上稀代の名プレイヤー達]]></category>
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					<description><![CDATA[全英オープン開祖のトムモリスシニアは、オールドコースに人生を捧げたゴルフ界の神的な存在です。 セントアンドリュースのオールドコースをこよなく愛し、コー...]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>全英オープン開祖のトムモリスシニアは、オールドコースに人生を捧げたゴルフ界の神的な存在です。</p>
<p><strong>セントアンドリュースのオールドコースをこよなく愛し、コース改修も行いました。</strong><br />
マッチプレーで無敵のアランロバートソンにも2度勝ってる伝説の英雄です。</p>
<p>全英オープンはモリスがきっかけで始まり、4度優勝しています。</p>

<p><strong>「ゴルフ界のソクラテス」</strong></p>
<p>そう呼ばれたゴルフプレーヤーがいます。</p>
<p><span style="color: #ff0000;"><strong>「トムモリスシニア」</strong></span></p>
<p>がそうです。1860年に全英オープンが開始される以前から、当代随一のゴルフの腕前でした。</p>
<p>要は生きているうちからすでに伝説の人だったのです。</p>
<p>トムモリスシニアは1821年にセントアンドリュースで生まれたとあります。<br />
父は郵便職員で家は貧しかったようです。</p>
<p><a href="https://i0.wp.com/argoruf.com/wp-content/uploads/2016/04/tommorisu.jpg?ssl=1"><img data-recalc-dims="1" loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-3036" src="https://i0.wp.com/argoruf.com/wp-content/uploads/2016/04/tommorisu.jpg?resize=250%2C370&#038;ssl=1" alt="tommorisu" width="250" height="370" /></a><br />
（出典元：日経BPより引用しました）</p>
<p>少年のころからこの地はゴルフが盛んな地域でしたからゴルフに親しんで、キャディーをやりながらゴルフがうまくなっていったようです。</p>
<h3 class="news_headline1">トムモリスシニアを替えた人生の転機・ロバートソンとの出会い</h3>
<p>仕事をしないと食えませんから・・・</p>
<p>ある日にアラン・ロバートソンのところに奉公に行くことに。<br />
まあボール職人としての弟子入りです。</p>
<p>アランロバートソンは伝説の人で、何しろ現代でも歴史的にプロゴルファー第一号だといわれています。</p>
<p><a href="https://argoruf.com/2945.html">アラン・ロバートソンはゴルフの歴史でプロゴルファー第一号である</a><br />
数々の名勝負、名マッチをこなして有名な方でした。</p>
<p>不敗のプロとも呼ばれ全く整備されていないオールドコースを、79で回ったという実力の持ち主でもありました。</p>
<p>参考までのこの時の79は今に換算すると59の実力だそうです。</p>
<p>マッチプレーでは敵なしだったようです。<br />
アランローバートソンはボール職人でもあったのですが、それ以上にマッチプレーいや高額マッチプレーで相当儲けていたようです。</p>
<p><strong>しかし1859年に亡くなってしまいます。</strong></p>
<p>モリスはロバートソンお気に入りで、何しろトムモリスシニアの腕はロバートソン以上だったのですから。</p>
<p>ロバートソンは負けなしとは言ってますが、実はモリスには2回負けているそうです。</p>
<p><strong>そんな実力ですからペアを組んだマッチプレー高額賞金マッチはさらに無敵！</strong></p>
<p>二人はコンビでセントアンドリュースの英雄としてほかの町の凄腕といわれるプレーヤーとマッチプレーを行い稼いでいたということです。</p>
<p>代表的なのは1849年のマッセルバラのダン兄弟とのマッチプレーの賞金はなんと400ポンド。</p>
<p><strong>今のお金で2000万だったといいますから驚きです。</strong><br />
勿論勝ちです。</p>
<p>ところが1845年ころにボールに革命が起きるのです。<br />
それまでに主流だった<strong>フェザーボール（革巻き）が安価なゴムのガッティボール</strong>にとって代わろうとする流れが出てきたのです。</p>
<p>モリスはもちろんこのガッティボールが時代の主流になっていくんだと思っていたのですが、ロバートソンはフェザーボールに固執。</p>
<p>二人の仲は気まずくなっていったのでした。</p>
<p>そんなときに１８５１年。プレストウィックがモリスをグリーンキーパー兼プロとして招聘したのでした。<br />
モリスは転機と思い思い切ってセントアンドリュースを飛び出したのです。</p>
<p><strong>ロバートソンは1859年に死去！</strong></p>
<h3 class="news_headline1">全英オープンの開催のきっかけは？</h3>
<p>1860年に全英オープン第一回大会が開催。</p>
<p>場所はプレストウィックなのですが、そもそもはそのプレストウィックが招いたトムモリスシニアの実力は折り紙付き。</p>
<p>どこのクラブのプロが一番強いか決めようじゃあないか・・</p>
<p>そういうプレストウィックの意図だったようです。</p>
<p>それともう一説はモリスによるロバートソンの追悼ゴルフの意味合いもあったようです。</p>
<p>どちらも本当なのかもしれませんね。</p>
<p>言い出しっぺはとにかくプレストウィックなのですから、場所ももちろんプレストウィックだったわけです。</p>
<p>名称はオープン競技なので</p>
<p><strong>「the　open」</strong></p>
<p>その第一回大会には当時あった6つのゴルフコースから8人のプロが参加して競技が行われたようです。</p>
<p>ただしこの第一回大会はクラブ対抗試合といったほうがいいですよね。</p>
<p>全員集まれって公示したわけではないですから。</p>
<p>そこで2年目からは公募されてアマチュア選手にも開放されて、名実ともに</p>
<p><strong>「全英オープン」</strong></p>
<p>が開催されたのです。<br />
そこでトムモリスシニアはその全英オープンで2年目からの7年間で連勝含む4勝を挙げています。</p>
<p>息子のトムモリスジュニアに至っては3連勝して大会が1年休んで、最下位の年にまた優勝と、実に4連勝しています。</p>
<p><a href="https://argoruf.com/2939.html">トム・モリス・ジュニア全英オープン4度優勝した天才は早逝の英雄</a><br />
親子全英オープン8勝したわけです。<br />
すごいですね。</p>
<p>その後1863年にセントアンドリュースに戻ることに。<br />
<strong>ここで今度はコースの設計家としての才能を開花させます。</strong></p>
<p>オールドコースの改修が最初の仕事でした。<br />
その時にカップに大きな金属のカップをはめ込んだのもこの時の彼のアイディアということです。</p>
<p>そしてこの<span style="color: #ff0000;"><strong>カップの直径が108ミリ</strong></span>という大きさもこの時に決められました。（一説にはこのカップは近くにあった水道管だというお話も・・・）</p>
<p>その後ミュアフィールドも手掛けることに。</p>
<p>晩年の彼はセントアンドリュース18番ホールのわきの</p>
<p><strong>「モリスショップ」</strong></p>
<p>に彼と話がしたいゴルファーが大挙して訪れることに。<br />
階層はあらゆる階層で当時のイギリスの総理大臣も彼とプレーしたいとやってきたそうです。</p>
<p>人柄を示す言葉に・・</p>
<p>「穏やかな気質と礼節を兼ね備え、あたかも王侯貴族の家庭に生まれたるがごとく」</p>
<p>と言われて人々に慕われたそうです。</p>

<h3 class="news_headline1">トムモリスシニアの最後は？</h3>
<p>亡くなったのは87歳の時。</p>
<p>自宅の階段から転げ落ちてそのままだったそうです。<br />
葬儀の日はセントアンドリュースの市全体が喪に服し商店はすべて休業。</p>
<p>大学の教授やR&amp;Aのメンバー、近隣から駆けつけた身分高いゴルファーが葬列を見送り、半旗が掲げられたといいますから、まさに国葬並みですね。</p>
<p>もしトムモリスがいなかったらプレストウィックでうちのモリスが腕は一番だなんて話が出るわけないですから、<strong>全英オープンは行われていなかった？</strong></p>
<p>いや行われていたでしょうが、1860年ではなかったような気がします。</p>
<p>悲劇のゴルフの天才、トムモリスジュニアとの悲しい別れに接しながらも、素晴らしい人生でした。<br />
古き良き時代と言えばそれまでですが、しかし古いからこそのロマンもあると思うのです。</p>
<p>個人のマッチプレーが主流の時に12ホールを3回回って勝負を決めようなどというルールも何とも当時らしさを感じます。</p>
<p>カップの直径も決めたんですね。</p>
<p>こういった方がいて今のゴルフがあるんですよね。<br />
感謝します！</p>
<p><a href="https://argoruf.com/3341.html">全英オープン開催コースと名勝負とオープンの歴史の紹介のまとめ</a></p>
<p>全英オープンの歴史や名勝負編のまとめです。</p>
]]></content:encoded>
					
		
		
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		<item>
		<title>アラン・ロバートソンはゴルフの歴史でプロゴルファー第一号である。</title>
		<link>https://argoruf.com/2945.html</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[gorfsukiojisan]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 12 Apr 2016 09:57:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[ゴルフ史上稀代の名プレイヤー達]]></category>
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					<description><![CDATA[アラン・ロバートソンは、ゴルフの歴史でプロゴルファー第一号といわれる、ボール職人の方です。 セントアンドリュースで、初めて80を切った79のスコアで有...]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>アラン・ロバートソンは、ゴルフの歴史でプロゴルファー第一号といわれる、ボール職人の方です。</p>
<p><strong>セントアンドリュースで、初めて80を切った79のスコアで有名です。</strong><br />
これを破ったのはトムモリスジュニアの77。</p>
<p><strong>コースの設計でも手腕を発揮。</strong><br />
セントアンドリュースの一部変更や、カーヌスティの設計にも尽力！</p>

<p>今では普通にゴルフトーナメントが毎週末に行われています。<br />
勿論出場しているのはプロゴルファーと、一部予選会を勝ち上がったりスポンサー推薦を受けるアマが混在しますが、基本プロゴルファーの世界です。</p>
<p>職業としてプロゴルファーが存在したのは、これはかなり前のことですが、しかしプロゴルファー第一号って一体誰で、いつのことなんでしょうか？</p>
<p>その方は歴史上はじめて80を切ったプレーヤーとしても有名な方です。<br />
<strong>その79というスコアはアウト40イン39でコースはセントアンドリュース。</strong></p>
<p>その方の名は</p>
<p><span style="color: #ff0000;"><strong>「アラン・ロバートソン」</strong></span></p>
<p>という方です。</p>
<p><a href="https://i0.wp.com/argoruf.com/wp-content/uploads/2016/04/alan.jpg?ssl=1" rel="attachment wp-att-2947"><img data-recalc-dims="1" loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-2947" src="https://i0.wp.com/argoruf.com/wp-content/uploads/2016/04/alan.jpg?resize=400%2C584&#038;ssl=1" alt="alan" width="400" height="584" /></a><br />
（出典元：https://www.thegolfballfactory.com/the-golf-course/より引用）</p>
<h3 class="news_headline1">アランロバートソンの元々の仕事は？</h3>
<p>この方は元々がゴルフボールを作る職人の方です。<br />
当時のゴルフボールはフェザーボールというボールが主流になっていました。</p>
<p>このボールは丸く削った木製のつげのボールにとってかわったボールで、ひょうたん型に切った牛革に羽毛を濡らしてぎゅうぎゅう詰めにした牛革のボールのことです。</p>
<p><strong>飛ばし屋なら200ヤードほど飛んだそうです。</strong></p>
<p>ロバートソンはこのフェザーボール職人で、そこに14歳の時にトムモリスシニアが奉公に入っていきます。</p>
<p>ローバートソン家は代々がこのボールを作ってきた職人の家系でした。</p>
<p><strong>ただしこのボールの難点は一日に3～4個程度しかできないことです。</strong><br />
ものすごく手間がかかったようです。</p>
<p>そして手間がかかれば当然高価になるわけです。<br />
当時はこのボール一個が手作りクラブ一本と同等だったといいますからすごい時代ですね。</p>
<p>ロバートソンはこの当代きってのボール職人である傍らに、ゴルファーとしても超一級の腕前の持ち主！</p>
<p>多数残るマッチプレーの試合記録でも負けたことが一度もないそうです。<br />
あだ名が</p>
<p><strong>「不敗の名手」</strong></p>
<p>だったそうです。<br />
そしてキャディーとしても働いていたそうです。</p>
<p>そしてクラブの会員に依頼されれば謝礼をいただいて、ゴルフの師難もしていたといいます。</p>
<p>そして懸賞金のかかったマッチプレーにも多数参加していて、そのためにゴルフの歴史家によると彼をして</p>
<p><span style="color: #ff0000;"><strong>「プロゴルファー第一号」</strong></span></p>
<p>というのが通説ということのようですね。<br />
そしてここに奉公に来ていたのが近代ゴルフの父といわれる</p>
<p><strong>「トムモリスシニア」</strong></p>
<p>だったわけです。</p>

<h3 class="news_headline1">アランロバートソンが育った時代背景は？</h3>
<p>1800年代のゴルフを楽しむ階級といえば裕福な貴族階級が多かったといいます。</p>
<p>それとやはりボールやクラブを作ったりの、ゴルフ職人の方たちです。</p>
<p>そう言った用具を作る職人の中に彼、アランロバートソンがいたわけです。</p>
<p><strong>彼は生まれは1815年といいますから今から200年ほど前になります。</strong><br />
ゴルフボール職人をしながらセントアンドリュースで自然とゴルフを覚えていったようです。</p>
<p>お父さんはそのセントアンドリュースで有名なキャディーさんだったこともあって、 自然と聖地でゴルフに親しむ環境になっていったようです。</p>
<p>当時はヒッコリーシャフトとこの革巻きのボールで初めてセントアンドリュースで80を切った79のスコアを出したことで有名になりました。</p>
<p><strong>この時の80を切った数字を記した紙がスコアカードの始まりと言われているようです。</strong></p>
<p>くしくもそれを破ったのが方向に来ていたトムモリスシニアの息子の</p>
<p><span style="color: #ff0000;"><strong>「トムモリスジュニア」</strong></span></p>
<p>で77でした。</p>
<p>アランロバートソンはコース設計にも長けていてセントアンドリュースの一部改造や、あの悲劇で有名なカーヌスティの設計にも参加しているようですね。</p>
<p>とはいっても当時のプロというのはキャディーやコースの管理やゴルフ道具の作り方など、ゴルフに精通していないと務まらなかったようです。</p>
<p>アランロバートソンは残念ながら全英オープンには参戦できずにその前年の1859年に没しています。</p>
<p>が・・しかしその全英オープンは1860年開催の第一回はこのアランロバートソンの追悼大会として開催されたということのようです。</p>
<p>第一回大会はプロのみで8名だったようです。<br />
2回目開催の時に名前を</p>
<p>&#8220;The Open Championship&#8221;</p>
<p>と命名したのですが、第一回目はアランの追悼大会だったのですが、それを第一回のオープンにしようということで命名が後付けだったようです。</p>
<p>アランロバートソンは一度も負けたことがないという記述ですが、どうやら別の文献によるとトムモリスシニアには2度戦って2度とも負けているとあるようです。</p>
<p>う～～ん</p>
<p><strong>どっちが本当なんでしょうか？</strong></p>
<p>まあどちらも本当ということで・・・</p>
<p>しかしまあ一大文化となったゴルフですが、何とも壮絶な歴史ですね。<br />
ゴルフ文化を調べていくとどうしてもこのスコットランドに行くことは間違いがありません。</p>
<p><strong>このリンクスのコースには1850年代はコースが24という記録があるようですが、驚くことに1900年には1200以上出来ていたそうです。</strong></p>
<p>50年で1200も増えるなんてなんという文化なんでしょうか？</p>
<p>その一ページを飾ったゴルフ界での最初のプロゴルファー</p>
<p><strong>「アランロバートソン」</strong></p>
<p>に敬意を表します！</p>
<p><a href="https://argoruf.com/3341.html">全英オープン開催コースと名勝負とオープンの歴史の紹介のまとめ</a></p>
<p>全英オープンの歴史や名勝負編のまとめです。</p>
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		<title>トム・モリス・ジュニア全英オープン4度優勝した天才は早逝の英雄</title>
		<link>https://argoruf.com/2939.html</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[gorfsukiojisan]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 10 Apr 2016 10:10:22 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[ゴルフ史上稀代の名プレイヤー達]]></category>
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					<description><![CDATA[トム・モリス・ジュニアは全英オープンを4度優勝した天才ですが、最愛の家族を失って早逝した英雄です。 わずか17歳で全英オープンを制覇して3回連続優勝、...]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>トム・モリス・ジュニアは全英オープンを4度優勝した天才ですが、最愛の家族を失って早逝した英雄です。</p>
<p><strong>わずか17歳で全英オープンを制覇して3回連続優勝、一年休んでまた優勝で合計4連勝した全英オープンの英雄です。</strong></p>
<p>セントアンドリュースを77で当時回ったスコアは驚異的です。</p>

<p>ANAインスピレーションで史上最年少メジャー優勝を果たした</p>
<p><strong>「リディアコー」</strong></p>
<p>の史上最年少記録を男女共通ということでさかのぼると、ここまでさかのぼらないといけません。</p>
<p><span style="color: #ff0000;"><strong>トムモリスジュニアの時代です</strong></span>。</p>
<p>トム・モリス・ジュニアは(1851年4月20日 ～1875年12月25日)は1851年の生まれです。</p>
<p>父は近代ゴルフの父ともいわれた</p>
<p><strong>「トム・モリスシニア」</strong></p>
<p>です。<br />
この親子はゴルフでは向かうところ敵なしでした。</p>
<p>ご存知のように全英オープンは1860年の開始です。<br />
しかしその長い150年以上の歴史の中で何度か中止に追いやられています。</p>
<p>第一次世界大戦じゃ第二次世界大戦などで過去に12回の中止を余儀なくされています。</p>
<p>しかしその戦争が原因で中止されたのは11回です。</p>
<p><strong>あとの１回はこのトムモリスジュニアが３連続で優勝したために、チャンピオンベルトがなかったためです。</strong></p>
<p>まさか３度連続で勝つとは予想だにしていなかったので、予算を取っていなかった。</p>
<p><a href="https://i0.wp.com/argoruf.com/wp-content/uploads/2016/04/tomujyunia.jpg?ssl=1" rel="attachment wp-att-2949"><img data-recalc-dims="1" loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-2949" src="https://i0.wp.com/argoruf.com/wp-content/uploads/2016/04/tomujyunia.jpg?resize=300%2C366&#038;ssl=1" alt="tomujyunia" width="300" height="366" /></a><br />
(出典元：<a href="https://www.japanjournals.com/component/content/article.html?id=990" target="_blank" rel="noopener noreferrer">トムモリスジュニア優勝ベルト</a>）</p>
<p>この当時のチャンピオンには今のようなクラレットジャグではなく、チャンピオンベルトだったのです。</p>
<p>しかもそのベルトは３回連続で優勝した場合は、取り切りと定められていたのです。</p>
<p>そのまさかの３回連続で</p>
<p><span style="color: #ff0000;"><strong>「トムモリスジュニア」</strong></span></p>
<p>は勝ってしまったのです。<br />
そこで主催者は真っ青です。</p>
<p>翌年のベルトを手配するどころか予算がなくて困ってしまったのです。<br />
ということでその翌年は中止になったのでした。</p>
<p>ところが休んだ翌年も勝ってこれで４連勝です。<br />
初めての全英オープンでの優勝はわずか1868年、１７歳の時。そこから４連勝です。</p>
<p>昨日のANAインスピレーションで</p>
<p><strong>「リディア・コー」</strong></p>
<p>が１８歳でメジャー優勝しましたが、同じタイトルはここまでさかのぼらないといけない記録だったのです。</p>
<p>1870年にこのトムモリスジュニアが大会3連覇を果たした時に、今後どうするか会議が持たれる。</p>
<p>1872年にプレストウィック、オーナブル・カンパニー・オブ・エジンバラ・ゴルファーズ、ロイヤル＆アンシェントゴルフクラブの各コースが10ポンドづつ出し合ってクラレットジャグを作成したとあります。</p>
<p>そしてその後全英オープンはこの3コース持ち回りになったわけです。</p>
<p>一番最初の優勝者は</p>
<p><strong>「トムモリスジュニア」</strong></p>
<p>従って一番最初に彼の名がこのトロフィーに刻まれました。<br />
この年の大会には間に合わなかったようですが、あとで彫り込まれたようです。</p>

<h3 class="news_headline1">トムモリスジュニアはどのくらいゴルフがうまかったのか？</h3>
<p>トムモリスジュニアの父はトムモリスシニアです。<br />
そのシニアに言わせるには彼が7歳の時にはすでにパットではかなわないといわせるほどだったといいますから驚きです。</p>
<p>トムモリスシニアも全英オープンで4度も優勝しています。<br />
トムモリスジュニアも4度優勝しています。</p>
<p><strong>この親子で8回も全英オープンに勝ってるわけです。</strong><br />
すごいですね。</p>
<p>ジュニアは最初の全英オープンは16歳の時に出場しています。<br />
この時は4位でした。</p>
<p>そして17歳の時の1868年に初めて優勝！<br />
そこから怒涛の4連勝を行くわけです。</p>
<p>圧巻は3連勝した3回目のスコアです。</p>
<p>この時のスコアは</p>
<p><strong>「149」</strong></p>
<p>この数字は二位以下に12打も離してのぶっちぎりの優勝。<br />
しかもこの数字はハリーバードンも進歩した道具でも破ることができなかった数字と言いますからこれはすごいものがあります。</p>
<p>この時のラウンドの決まりは12ホールを3回ラウンドします。<br />
従って36ホールのストロークを競うわけです。</p>
<p><strong>彼の偉大な記録で1871年にセントアンドリュースを77でラウンドしているということです。</strong></p>
<p>それまでのコースレコードはアラン・ロバートソンが出した７９でした。</p>
<p>しかし当時と今では全くのコースのレベルが違いすぎると思いますし、まして道具の進化も甚だしいですから、この77というスコアは一説には今のスコアに置き換えたら</p>
<p><span style="color: #ff0000;"><strong>「５９」</strong></span></p>
<p>に匹敵するだろうといわれているようです。</p>
<p>しかしそんな天才も家族を失った悲しみから早逝してしまいます。<br />
24歳でした。</p>
<p>う～～ん</p>
<p>英雄ほど早く逝ってしまうとは言いますが、もしそのあとも父のトムモリスシニアと同じように生きていたら、それこそ何度勝ったかわからないですね。</p>
<p>今以上に全英オープンでの名声を博していることは間違いながないでしょう。</p>
<p>何とも悲しいことですが、これも人生ですねえ・・</p>
<p><a href="https://argoruf.com/3341.html">全英オープン開催コースと名勝負とオープンの歴史の紹介のまとめ</a></p>
<p>全英オープンの歴史や名勝負編のまとめです。</p>
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		<item>
		<title>ウォルター・ヘーゲンはメジャー11勝で反骨の生涯を実践したゴルファー</title>
		<link>https://argoruf.com/2047.html</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[gorfsukiojisan]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 26 Feb 2016 12:09:55 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[ゴルフ史上稀代の名プレイヤー達]]></category>
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					<description><![CDATA[ウォルター・ヘーゲンはメジャー11勝で反骨の生涯を実践したゴルファーです。 著書の「ウォルター・ヘーゲン物語―ヘイグ自ら語った反骨の生涯」 に自分の人...]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>ウォルター・ヘーゲンはメジャー11勝で反骨の生涯を実践したゴルファーです。</p>
<p>著書の「ウォルター・ヘーゲン物語―ヘイグ自ら語った反骨の生涯」 に自分の人生を書き記しています。</p>
<p>ボビージョーンズとの同時代のゴルファーでありながら、プロとしてのゴルフを確立させました。</p>
<p><span id="more-2047"></span></p>
<p>ウォルター・ヘーゲンはメジャーでは11勝しています。<br />
<strong>この11勝はゴルフの歴史の中では単独での3位になります。</strong></p>
<p>この11勝という記録はジャックにクラウスが1973年にメジャー大会で12勝を挙げるまでの44年間破られることはなかった記録です。</p>
<h3 class="news_headline1">ウォルター・ヘーゲンのゴルファーの時代背景</h3>
<p>ウォルター・ヘーゲン（ 1892年12月21日 &#8211; 1969年10月5日）</p>
<p><a href="https://i0.wp.com/argoruf.com/wp-content/uploads/2016/02/waltaa.png?ssl=1" rel="attachment wp-att-2048"><img data-recalc-dims="1" loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-2048" src="https://i0.wp.com/argoruf.com/wp-content/uploads/2016/02/waltaa.png?resize=230%2C326&#038;ssl=1" alt="waltaa" width="230" height="326" /></a><br />
（写真はwikipediaよりの引用です）</p>
<p>ウォルター・ヘーゲンはアメリカニューヨークのチェロスターという所の出身です。<br />
主には競技としてのゴルフを確立させたという功績が大だということのようです。</p>
<p>1900年を挟んで、この時代はゴルフはアマチュアの競技のイメージが強かった時代です。<br />
それをプロの世界にして、しかも賞金制度にも持っていったという功績のようですね。</p>
<p>この当時のプロゴルファーの地位というのはかなり低かったようです。<br />
クラブハウスには会員でないと入れなかったようです。</p>
<p>要は今のツアーの基礎を作ったといっても過言ではないということです。</p>
<p>この同時期のゴルファーには最も偉大なアマチュアゴルファーの</p>
<p><strong>「ボビージョーンズ」がいます。</strong></p>
<p>ボビーは生涯アマチュアで通したのですが、ヘーゲンはプロゴルファーとして一生を遂げます。</p>
<p>通称は</p>
<p><span style="color: #ff0000;"><strong>「ザ・ヘイグ」</strong></span></p>
<p>この時代にあってプロゴルファーとして<strong>生涯に100万ドル稼いだのは、このウォルター・ヘーゲン</strong>が一番最初だといわれているようです。</p>
<p>すごいですね。</p>
<p>今のお金ならいくらになるんでしょうか？<br />
戦前の昭和一ケタの時代ですよ～～～</p>
<p><strong>ウォルター・ヘーゲンの勝利の記録</strong></p>
<p>1914年全米オープン初制覇<br />
1918年全米オープン優勝<br />
1922年全英オープン優勝<br />
1924年全英オープン優勝<br />
1920年代に全米プロ選手権5勝<br />
1928年全英オープン優勝<br />
1929年全英オープン優勝</p>
<p><strong>合計で11勝です。</strong></p>
<p>ウォルター・ヘーゲンの時代のグランドスラムは、まずそのグランドスラムという言葉自体が1930年に<strong>ボビージョーンズが、その年に当時のメジャーの全米オープン、全英オープン、全米アマチュア選手権、全英アマチュア選手権の4大会をすべて制覇したことで生まれた言葉です。</strong></p>
<p>その時はまだマスターズはなかったのです。</p>
<p>マスターズが1934年にクリフォード・ロバーツとボビージョーンズによって作られてからは、メジャー4大会が今の形になったわけです。</p>
<p>ヘーゲンの時代には、プロならばアマチュア選手権にはでられませんから当然、グランドスラムということはなかったわけです。</p>
<p>[ad#ad1]</p>
<p>勿論あのバードントロフィーの全英オープン6勝の最多勝利記録のハリーバードンも、プロですからグランドスラムには縁がなかったわけですね。</p>
<p><strong>アマチュアとプロが混在していた時代です。</strong></p>
<p>それと実力もアマとプロが一緒に戦っていてそん色なかったようです。</p>
<p>ハリーバードンも全米オープンで1913年に無名の20歳のアマチュアのフランシス・ウィメットに敗れています。</p>
<p>当時のアマチュアは強かったんですね。<br />
さすがアマチュア選手権がメジャーといわれるだけあると思います。</p>
<h3 class="news_headline1">ウォルター・ヘーゲンと日本との関係について</h3>
<p>ウォルター・ヘーゲンは過去に戦前ですが、1930年といいますから昭和5年になると思いますが、当時の日本ゴルフ協会の要請で来日しています。</p>
<p>当時は飛行機がなかったですからね・・船で何日もかけてきたんだと思います。<br />
そして当時の日本のトッププロの方たちとエキシビジョンラウンドを行ったようです。</p>
<p>日本の名門コースの中でも東京の小平市にあるあの会員権のとんでもない価格の</p>
<p><span style="color: #ff0000;"><strong>「小金井カントリークラブ」</strong></span></p>
<p>ここはウォルター・ヘーゲンが設計したコースだということです。<br />
これは驚きました。</p>
<p>1969年に76歳で逝去。<br />
1974年にゴルフ殿堂入りしています。</p>
<p>1999年創始の世界ゴルフ選手権の第1戦のアクセンチュア・マッチプレー選手権の優勝カップには、ウォルター・ヘーゲンの名前にちなんだ</p>
<p><strong>「ウォルター・ヘーゲンカップ」</strong></p>
<p>の名が刻んであるそうです。<br />
<strong>メジャー11勝の記録は偉大な記録です。</strong></p>
<p>あのベンホーガンでさえ9勝しかできなかった。</p>
<p>しかしそうなるとジャック・ニクラウスの18勝はとんでもない記録なわけですね。<br />
しかもトリプルグランドスラムのおまけつきで・・</p>
<p>まさに帝王の意味はここにあるんだと思います！</p>
]]></content:encoded>
					
		
		
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		<item>
		<title>ゲーリー・プレーヤーはメジャー勝利数9勝でグランドスラム達成者！</title>
		<link>https://argoruf.com/2041.html</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[gorfsukiojisan]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 25 Feb 2016 11:00:04 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[ゴルフ史上稀代の名プレイヤー達]]></category>
		<guid isPermaLink="false">http://argoruf.com/?p=2041</guid>

					<description><![CDATA[ゲーリー・プレーヤーはメジャー勝利数が9勝でキャリアグランドスラム達成者です。 メジャー9勝はあのベンホーガンと並んで4位の記録です。 出身は南アフリ...]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>ゲーリー・プレーヤーはメジャー勝利数が9勝でキャリアグランドスラム達成者です。</p>
<p><strong>メジャー9勝はあのベンホーガンと並んで4位の記録です。</strong></p>
<p>出身は南アフリカです。まだまだ現役でゴルフだけでなく、ゴルフに関する世界でもメジャー級の活躍をしています。</p>
<p><span id="more-2041"></span></p>
<p>ゲーリー・プレーヤーはメジャー通算9勝をあげています。<br />
<strong>これはメジャー勝利数ではこれはあのベンホーガンと並んで4位タイ記録です。</strong></p>
<p>ゲーリー・プレーヤーは生まれは南アフリカのヨハネスブルグというところのようです。</p>
<p>南アフリカといえば現役ではアーニーエルスとレティーフ・グーセンが有名ですね。<br />
同じ出身ということになります。</p>
<p>キャリアグランドスラム達成者は5人いますがそのうちの一人です。<br />
<span style="color: #ff0000;"><strong>達成した時は3人目でした。</strong></span></p>
<p>その後にジャックにクラウスとタイガーウッズが加わって5人になります。<br />
しかしこのあとの二人はキャリアグランドスラムを3回、トリプルを達成しています。</p>
<h3 class="news_headline1">ゲーリー・プレーヤーの生い立ちと記録について</h3>
<p>1935年11月1日生まれといいますから本年（2016年）で81歳になります。</p>
<p><a href="https://i0.wp.com/argoruf.com/wp-content/uploads/2016/02/geiriy.jpg?ssl=1" rel="attachment wp-att-2045"><img data-recalc-dims="1" loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-2045" src="https://i0.wp.com/argoruf.com/wp-content/uploads/2016/02/geiriy.jpg?resize=230%2C226&#038;ssl=1" alt="geiriy" width="230" height="226" /></a></p>
<p>お父さんが金鉱堀の仕事に従事していたようです。<br />
その為比較的裕福な家庭であったようです。</p>
<p>しかし8歳の時に母親が他界！</p>
<p><strong>14歳からゴルフを始めて1953年に18歳でプロ入りを果たします。</strong></p>
<p>ゲーリー・プレーヤーの時代のゴルフ界はその大半がアメリカやイギリスの選手で占められていたために、アフリカ出身のゴルファーとしてはいうなれば開拓者になったわけです。</p>
<p>そしてプロゴルファーとしてアメリカに限らずオーストラリアや、南アフリカなどの世界各国のゴルフツアーを渡り歩いたようです。</p>
<p>その為に米ツアーでは24回の優勝ですが、そのほかのツアーの優勝がなんと165回とあります。</p>
<p>これはまたすごい数字です。<br />
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<h3 class="news_headline1">ゲーリー・プレーヤーのメジャー記録と最近の活動</h3>
<p>ゲーリー・プレーヤーの優勝の記録は1956年から始まります。<br />
米のツアーに参戦するのは1957年です。</p>
<p><strong>1959年には全英オープンで優勝して、メジャー初の優勝を飾ります。</strong><br />
<strong> 1961年にはマスターズ優勝</strong><br />
<strong> 1962年全米位プロ選手権優勝</strong><br />
<strong> 1965年全米オープン優勝</strong></p>
<p>これでキャリアグランドスラムを達成するわけですね。<br />
この時点でのキャリアグランドスラム達成者は</p>
<p><strong>「ジーンサラゼン」</strong><br />
<strong> 「ベンホーガン」</strong></p>
<p>しかいなかったわけです。<br />
まさにゴルフ界の歴史に名を遺した瞬間だったわけです。</p>
<p>1974年には世界ゴルフ殿堂が設立されましたが、ゲーリー・プレーヤーはその時点ですぐに殿堂入りを果たします。</p>
<p>メジャー大会の最後の優勝は1978年です。くしくもこの年の3勝でツアーからの優勝が途絶えました。</p>
<p>その後はPGAのチャンピオンズツアー（PGAシニアツアー）では（50歳以上のシニア）通算で19勝を挙げています。</p>
<p>このツアーは私も青木功プロとジャックにクラウスやリー・トレビノなどの往年の名プレーヤーが出ているので結構テレビで見ていました。</p>
<p><span style="color: #ff0000;"><strong>夢のような組み合わせでした。</strong></span></p>
<p>最近ではプレジデンツカップでの監督などもやっているようです。<br />
2016年の3月には日本に来てイベントがあります。</p>
<p>場所は2020年東京オリンピックの舞台でもある</p>
<p><strong>「霞が関カンツリークラブ」</strong>です。</p>
<p>震災後5年のイベントのようです。<br />
原辰徳元巨人監督もイベントマネージャーとして参加するようですね。</p>
<p>世界でまだまだ生ける伝説のゴルファーなわけですから、いつまでの元気でプレーしてほしいです。</p>
]]></content:encoded>
					
		
		
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		<title>ジョン・ヘンリー・テイラー近代ゴルフの3巨人で全英オープン5勝</title>
		<link>https://argoruf.com/1872.html</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[gorfsukiojisan]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 17 Feb 2016 12:14:42 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[ゴルフ史上稀代の名プレイヤー達]]></category>
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					<description><![CDATA[ジョン・ヘンリー・テイラー近代ゴルフの3巨人で全英オープン5勝の実績があります。 ハリーバードン、ジェームス・ブレードとともに近代ゴルフの3巨人といわ...]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>ジョン・ヘンリー・テイラー近代ゴルフの3巨人で全英オープン5勝の実績があります。</p>
<p><span style="color: #ff0000;"><strong>ハリーバードン、ジェームス・ブレードとともに近代ゴルフの3巨人といわれます。</strong></span></p>
<p>くしくも3人が同年代でのよくライバルで競ったことがゴルフの発展につながったようです。</p>
<p><span id="more-1872"></span></p>
<p>ジョン・ヘンリー・テイラーはイングランドのノースデボンに1871年に生まれます。<br />
1871年というと最大のライバルのハリーバードン、ジェームス・ブレードと年齢が一才しか違いません。</p>
<p>生まれの成果は貧しい労働者階級だったようです。<br />
10歳ころからキャディーの仕事を始めて、テイラー自身もゴルフを始めたことは極めて自然だったと思います。</p>
<p>身長が168cmと欧米人としては小柄でしたがそれをはねのけるような身体能力というか天賦の才があったのだと思います。</p>
<p><a href="https://i0.wp.com/argoruf.com/wp-content/uploads/2016/02/JohnHenryTaylor.jpg?ssl=1" rel="attachment wp-att-1874"><img data-recalc-dims="1" loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-1874" src="https://i0.wp.com/argoruf.com/wp-content/uploads/2016/02/JohnHenryTaylor.jpg?resize=330%2C505&#038;ssl=1" alt="JohnHenryTaylor" width="330" height="505" /></a><br />
（写真はウィキペディアより引用いたしました）</p>
<p>どんどん腕を上げて全英オープンに初出場して、次の年には優勝。<br />
以降<span style="color: #ff0000;"><strong>全英オープンには2連勝を含む5勝することに。</strong></span></p>
<p>その勝利年度は</p>
<p><strong>1895年、1900年、1905年、1906年、1909年です。</strong></p>
<p>これは最多勝利回数のハリーバードンに次ぐ2位でジェームスブレードと同じ。<br />
近代ではトムワトソンの5勝と並びます。</p>
<p>当時の1900年前後のプレーヤーではまさにゴルフ界の彗星だったのだと思います。</p>
<h3 class="news_headline1">近代ゴルフの3巨人がどれだけ強かったのかの証明</h3>
<p>その証明に1894年～1914年の21年間で、この3人のほかの方の手に全英オープンのタイトルが渡ったのはたったの5回しか無いのです。</p>
<p>これは本当に驚くべきことです。びっくりです。<br />
<strong>この3人が当時のゴルフ界の大スターだったわけです。</strong></p>
<p>ただしこの3人のうちで全米オープンを制覇したのはハリーバードンだけです。<br />
ハリーバードンは全英オープン6勝でトップの勝利回数、全米オープン一回で等たるで7勝しています。<br />
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<h3 class="news_headline1">ジョン・ヘンリー・テイラーの心にしみる名言の一つ</h3>
<p>ジョン・ヘンリー・テイラーこの有名な言葉にこういうのがあります。</p>
<p><strong>「ゴルフというのゲームは単に娯楽とみなすならば、その人にとってゴルフは永遠に解けない謎となるだろう。」</strong></p>
<p>う～～ん<br />
これは奥が深いですねえ。<br />
前回ジェームスブレードの記事でも書いたのですが、人生とゴルフが何の分け隔てもない淡々とプレーする、果たして楽しんでいるのか？</p>
<p>日常生活でもいつものルーチンを淡々とこなして仕事をする姿にいったいゴルフとは？</p>
<p><strong>息子とのプレーでいいプレーを見せられなくても淡々と会話を楽しんでプレーする姿！</strong></p>
<p>何とも言えないですね。</p>
<p>上記の言葉ですが、ゴルフは簡単に言えば数種類のクラブ、14本のクラブを使って直径が108㎜のホールに球を入れる競技です。</p>
<p>天候も違えば自然の条件も違うし、ましてその日の調子もまた日々違うわけで、きょう70台のスコアでも明日は80台かもしれないわけです。</p>
<p>この不思議さはどこから来るのか？</p>
<p>それと優勝するパットの30センチがいかに長く感じるかによって、実際にトムワトソンは極端なイップスにかかってなかなか勝てなかったわけです。</p>
<p>普通は初心者でも入る30センチが…です。</p>
<p>倉本昌弘が言った言葉に集約されるかもしれません。</p>
<p><strong>「プロ入りして22年で突然にそれはやってきて突然に去った。不思議の一言だ」</strong></p>
<p>2003年に当時の新記録59を出した時のことです。<br />
これを複数回やることはかなわないことなのです。</p>
<p>しかもそのチャンスは突然にやってくる。<br />
私たちアマチュアでもそうです。</p>
<p>今日は何が良くて82出せたんだ？</p>
<p>くっそ～～この間82なのになんで今日は93も・・<br />
此れの繰り返しです。</p>
<p>これこそがゴルフの奥深さなのではないでしょうか？<br />
これをどう理解すればいいのか？</p>
<p><a href="https://hb.afl.rakuten.co.jp/hgc/09041811.f4a02891.0ad86883.2815dfd9/?pc=http%3a%2f%2fsearch.rakuten.co.jp%2fsearch%2fmall%2f%25E3%2582%25B4%25E3%2583%25AB%25E3%2583%2595%25E5%2590%258D%25E8%25A8%2580%25E9%259B%2586%2f%3fgrp%3dproduct%26myButton.x%3d0%26myButton.y%3d0%26scid%3daf_link_urltxt&amp;m=http%3a%2f%2fm.rakuten.co.jp%2f" target="_blank">★ゴルフ名言集の数々★</a></p>
<p>もう一つの名言を</p>
<p><strong>「最も崇高な目的は、人を驚かすような素晴らしいショットではなく、ミスをひとつひとつ着実にへらしていくことである。」</strong></p>
<p>これはよく言われることですよね。<br />
ゴルフはミスを犯すことを減らしていくゲームだって。</p>
<p>ミスしなければいいスコアで上がれるわけですが、しかしそうはいかないのがまたゴルフです。</p>
<p>100年前にはもうこういう言葉が言われていたわけです。</p>
<p>ジョン・ヘンリー・テイラーの言葉には奥の深い意味が込められているようです</p>
]]></content:encoded>
					
		
		
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		<item>
		<title>ジェームス・ブレードは近代ゴルフ3巨人の一人で全英オープン5回優勝</title>
		<link>https://argoruf.com/1864.html</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[gorfsukiojisan]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 14 Feb 2016 12:08:59 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[ゴルフ史上稀代の名プレイヤー達]]></category>
		<guid isPermaLink="false">http://argoruf.com/?p=1864</guid>

					<description><![CDATA[ジェームス・ブレードは近代ゴルフ3巨人の一人で一夜の奇跡で知られる、全英オープン5回優勝の記録を持ちます。 ハリーバードン、ジョン・ヘンリー・テイラー...]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>ジェームス・ブレードは近代ゴルフ3巨人の一人で一夜の奇跡で知られる、全英オープン5回優勝の記録を持ちます。</p>
<p><strong>ハリーバードン、ジョン・ヘンリー・テイラーと並び称される近代ゴルフ界の達人です。</strong></p>
<p>ゴルフの歴史で偉大な成績を収めたジェームスブレードは人生とゴルフを最も愛した人だと思います。</p>
<p><span id="more-1864"></span></p>
<p>出身はスコットランドのアルスフェリーというところです。<br />
1870年2月生まれです。</p>
<p><strong>1870年といえばあのハリーバードンと生まれ年が同じです。</strong><br />
奇遇ですねえ・<br />
そのあと数々の名勝負をこのハリーバードンと演じることになるのです。</p>
<p>家の家業は農家だったようです。<br />
しかし19歳でアンドリュー・カーカルディに弟子入りしたということです。<br />
24歳の時に全英オープンに出場。</p>
<p>1894年に全英オープン初出場<br />
<strong>1901年　全英オープン初優勝</strong><br />
<span style="color: #ff0000;"><strong> その後5回全英オープン優勝</strong></span><br />
<strong> （1901年、1905年、1906年、1908年、1910年）</strong></p>
<p>初出場から、着実に実力をつけていったようですが、なぜ勝てなかったかというと圧倒的に飛距離が足りなかったようです。</p>
<p>186センチと体格的には恵まれていたほうなのですが、短すぎるシャフトに原因があったようです。</p>
<p><strong>一夜の軌跡というそうですが・・・</strong></p>
<h3 class="news_headline1">ジェームス・ブレードの生い立ちとゴルフとの出会い</h3>
<p>彼の生まれた村ではゴルフをやらないやつは変人といわれていたそうです。<br />
本当ですかねえ・・ちょっとですが…そう書いてありますので。</p>
<p>スコットランドといえばゴルフが盛んなところですし、なんといってもゴルフ発祥の地ですし、「the　open」が行われる聖地ですからねえ・</p>
<p>そうかもしれません。</p>
<p><strong>ただし彼の父はその変人の一人でゴルフはやらなかったようです。</strong><br />
勿論生まれた1870年は今よりは人口も少ないですし、貧しかったので13歳の時から奉公に出て働き始めていました。</p>
<p>この仕事は忙しかったようで、当時の奉公仕事では日曜日にプレーすることは禁じられていたようです。</p>
<p>ということでせいぜい土曜日の午後にラウンドするしか手がなかったようですが、驚くことに<span style="color: #ff0000;"><strong>16歳の時にはジェームス・ブレードはスクラッチプレーヤー</strong></span>だったといいますから驚きです。</p>
<p>19歳の時にセントアンドリュースに出稼ぎに行ったとあります。</p>
<p>この時にアンドリュー・カーカルディと出会ったのかもしれないですね。<br />
そこでコースを見たのかどうかはわかりませんが、どんな印象をセントアンドリュースに持ったんでしょうか？</p>
<p>その後にエジンバラで働きながらゴルフに打ち込みます。<br />
そして23歳の時にロンドンの百貨店にゴルフクラブ職人として就職したとあります。</p>
<p>その時にプロのゴルファーとなったようですね。</p>
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<h3 class="news_headline1">一夜の奇跡とプロゴルファーとしての全英オープンの成績</h3>
<p><strong>1894年に全英オープンに初出場するのですが、初出場でいきなり10位になりました。</strong><br />
そののち出場はしたのですが1901年まで勝てませんでした。</p>
<p>その原因が前述した飛距離だったのです。<br />
<span style="color: #ff0000;"><strong>飛ばなかった・なんで？？</strong></span></p>
<p>それは彼の道具に対する哲学で短いドライバーを好んだからです。<br />
ところがあることがきっかけでシャフトを長くしたのですが、そうしたら今度は当代一の飛ばし屋になったといいますから面白いものですね。</p>
<p>当時のクラブといえば、私もそのくらいは知ってますが、シャフトはヒッコリーでヘッドはパーシモンです。</p>
<p>がしかし・その接合部が問題で今のように完ぺきではなく、華奢にできていたためによくプレー中に折れたりしたそうです。</p>
<p>これは十分に考えられることですね。</p>
<p><strong>当時のルールはクラブが折れると当時は1ペナだったそうです。</strong></p>
<p>ある時にブレードはこのクラブを点検中にクラブを抱いたまま寝てしまったそうです。</p>
<p>そして朝、目が覚めてクラブを見てみたらシャフトが15センチも長くなっていたそうです。</p>
<p>ブレードは不思議に思いながらもそのクラブでボールを打ってみたそうな・<br />
すると信じられないかの地までボールが飛んでいくではないか？<br />
<strong>その信じられない飛距離にブレードは神に感謝したそうです。</strong></p>
<p><strong>しかも跪いて。</strong></p>
<p>これにはエピソードがあってなかなかこの短いクラブにこだわり続けるブレードに、妻とブレードの友人のロバート・ホースブローが業を煮やして神の奇跡を演出したということのようです。</p>
<p>これだけ、周囲の人に愛されていたということなのでしょうね。</p>
<p><strong>それと彼は目が悪かったようです。</strong><br />
その目が悪いことがパットの不調につながることがあったのですが、これも彼の独自の研究とパターの良い道具との出会いで克服したようです。</p>
<p><strong>ほぼ完ぺきなゴルフで弱点がなくなったようなブレード！</strong><br />
全盛期を迎えるのはゴルフの3巨人の中で最も遅かったが、ライバル二人を置き去りにするほどの強さを発揮する時期があったのです。</p>
<p><strong>1905年から1910年までの間の6年間で4度も全英オープンを制しています。</strong><br />
すごいですね。まさにぶっちぎりです。</p>
<p><strong>しかも1908年のセントアンドリュースでは299スコア。</strong><br />
<strong> 初めて300を切った選手です。</strong></p>
<p>しかももっとすごいのは<span style="color: #ff0000;"><strong>1899年から14年間すべて5位以内</strong></span>という成績を収めたといいますからこれもまた見事です。</p>
<p>安定感は群を抜いていたようです。</p>
<p>しかし残念ながら視力の低下と第一次世界大戦での中断が彼の全盛期を奪ってしまったようです。</p>
<p>しかし1927年の全英マッチプレーで57歳での決勝に進出という偉業も！<br />
また78歳で74というエージシュートも記録しているようですからその安定感というのは衰えなかったような気がします。</p>
<h3 class="news_headline1">ジェームスブレードのスイングとゴルフと人生について</h3>
<p>彼のスイングですがこういっています。</p>
<p><strong>「トップスウィングは小さくあれ。オーバースウィングでは上達しない。コンパクトに、もっとコンパクトに。」</strong></p>
<p>ゴルフは人生そのものというたとえがありますが、ジェームズは日常生活でもゴルフでのコースでの所作も変わらなかったということです。</p>
<p>彼を眺めてる人は、淡々とプレーする彼の姿を見て本当にゴルフを楽しんでいるんだろうか？</p>
<p>日常生活においても日々の日課をまじめにただこなしていく彼の姿と、そのコース上の姿がラップしたそうです。</p>
<p>それと人の悪口や評判においても口にしたこと無かったといいますから、これは真似しようと思ってもなかなかできないことだと思います。</p>
<p>私なんぞは人の評判なんか気になって仕方がないほうです（笑</p>
<p>晩年のエピソードですが、彼の息子とプレーした時に時に彼は絶不調だったようです。</p>
<p>しかしそんな性格ですから言い訳なんかするわけもなし。<br />
<strong>ただ息子との会話を楽しんだようです。</strong></p>
<p>ただできれば父親としていいプレーを見せてあげたかったようです。<br />
18ホール終わってからただの一言。</p>
<p><span style="color: #ff0000;"><strong>「今日は飛び切りのゴルフを見せてあげられなかったね」</strong></span></p>
<p>彼の息子はのちにこの時を回想してゴルフというのはこうプレーするものだという手本を見せられたようだとコメントしています。</p>
<p>まさに人生そのものだと思いませんか？</p>
<p><strong>ゴルフに何を求めるか？</strong><br />
ただ単にスコアを追い求める？</p>
<p>やはりそれは違うと思います。<br />
これはやはりゴルフ界の3巨人というだけあって、大変に意味のある言葉だと思います。</p>
<p>ゴルフはプレーだけでなく、心も教えてくれるものだと思います。</p>
<p>皆さんはどう思いますか～</p>
]]></content:encoded>
					
		
		
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		<item>
		<title>バードントロフィーのハリーバードンの名言と全英オープン6勝の最多勝利</title>
		<link>https://argoruf.com/1853.html</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[gorfsukiojisan]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 14 Feb 2016 00:42:59 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[ゴルフ史上稀代の名プレイヤー達]]></category>
		<guid isPermaLink="false">http://argoruf.com/?p=1853</guid>

					<description><![CDATA[ハリーバードンは全英オープン最多勝利の6勝を挙げています。 バードントロフィーはハリーバードンのゴルフ界への近代化を開いた功績をたたえた栄誉ある賞です...]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>ハリーバードンは全英オープン最多勝利の6勝を挙げています。</p>
<p><strong>バードントロフィーはハリーバードンのゴルフ界への近代化を開いた功績をたたえた栄誉ある賞です。</strong></p>
<p>米ツアーで年間平均ストローク1位の選手に贈られる賞です。</p>
<p>昨年はジョーダンスピースに贈られました。</p>
<p><span id="more-1853"></span></p>
<p>ハリーバードンはジェームズ・ブレイド、ジョン・ヘンリー・テイラーとともにゴルフ界の3大巨頭といわれているようです。</p>
<p>バードントロフィーが米ツアーの年間平均ストローク１位の選手に贈られています。</p>
<p><strong>これはハリーバードンが近代ゴルフへの道を開いたことを称えた意義あるトロフィーです。</strong></p>
<p>ハリーバードンはイングランド南の方向にあるジャージー島という島に生まれました。<br />
<strong>生まれは1870年5月です。</strong><br />
全英オープンは1860年が第一回大会ですから、そのあと10年というところですね。</p>
<p>家の家業は庭師だったようです。<br />
13歳の時に実の弟があるゴルフの大会で準優勝したということで意を決してゴルフに精を出したようです。</p>
<p>新規にオープンしたゴルフ場に就職してからというものゴルフに励んだようです。</p>
<p>下記は全英オープンの記録です。</p>
<p>１８９３年　初出場（予選落ち）<br />
１８９４年　５位<br />
１８９６年　初優勝<br />
<strong>優勝　６回</strong><br />
(1896年・1898年・1899年・1903年・1911年・1914年)</p>
<p>全英6回という優勝記録は1位です。<br />
二位はトムワトソンの5回です。</p>
<p>全米オープンは1900年に1勝しています。</p>
<p>1903年に肺結核にかかってしまい闘病生活を余儀なくされますが、1911年には復活します。</p>
<p>しかも復帰第一線で優勝するというおまけでついてますが。</p>
<p>1937年に67歳でこの世を逝去しています。</p>
<p><a href="https://i0.wp.com/argoruf.com/wp-content/uploads/2016/02/baadon.jpg?ssl=1" rel="attachment wp-att-1854"><img data-recalc-dims="1" loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-1854" src="https://i0.wp.com/argoruf.com/wp-content/uploads/2016/02/baadon.jpg?resize=500%2C500&#038;ssl=1" alt="baadon" width="500" height="500" /></a></p>
<h3 class="news_headline1">ハリーバードンが近代ゴルフへの寄与した数々の功績</h3>
<p>ハリーバードンはいろんな面でゴルフ界に貢献しています。</p>
<p>ハリーバードンは</p>
<p><strong>「モダン・スイングの父」</strong></p>
<p>とも言われているようですね。<br />
モダン・・と聞くとベンホーガンの「モダンゴルフ」をイメージするのですが、ここにももっともっと先輩の方に偉大なゴルファーがいたのですね。</p>
<p>バードンのおかげで近代ゴルフの幕が開けたといってる方もおられるようです。</p>
<p>まず技術的な面ですが、今では一般的になった</p>
<p><span style="color: #ff0000;"><strong>「オーバーラッピンググリップ」</strong></span></p>
<p>実はこれはハリーバードンが考案したグリップです。<br />
もう100年以上前にバードンが考案したグリップで、皆さんゴルフを楽しんでいるわけです。</p>
<p><strong>ことの発端は本人はフックに悩んでいたようです。</strong><br />
そこで考案したのがこのグリップということです。</p>
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<h3 class="news_headline1">ハリーバードンが残した数々の名言</h3>
<p>ハリーバードンはいろんな名言を残しています。<br />
例えば・・</p>
<p><strong>「スウィングとは冷静に行うもの。間違っても夢中で振り回してはいけない。ゆっくりと静かに、そして力強く降り抜くのだ」</strong></p>
<p>う～～んこの言葉は奥が深いですね。<br />
このゆっくりがなかなかできないし、よ～～しいくど～～の世界ばっかだったような・・・（これは私ですが・・）</p>
<p><strong>「君は165ヤードのパー３を、６番アイアンのフルショットで乗せた。私は４番の軽いコントロールショット。君はどちらがいいと思うかね？」</strong></p>
<p>このことばは1920年に渡米した時に、当時の米国の新鋭で売り出し中のジョニー・ファーレルとエキジビションマッチを行った際に当のファーレルがバードンに助言を求めたときの言葉だということのようです。</p>
<p>この時の意味はオーバーラッピングの効用を説明したらしいのですが、力いっぱいのスイングよりは、1，2番手落としたスイングのほうが余裕があって安全確実な方法だと・・</p>
<p>これは耳が痛いんですよね。<br />
やはり最大飛距離を求めるのはアマチュアゴルファーの常のような気がします。<br />
これを番得手を落とすという所作はなかなかできないことだと思うのです。</p>
<p><strong>見栄を張るというか、飛距離は競うものではないということの戒めのようにも聞こえます。</strong></p>
<p>まあ端的に言えば</p>
<p><strong>「ゴルフは飛ばしてなんぼではない！」</strong></p>
<p>ということの裏返しでもあるわけですね</p>
<p>ファーレルは1928年、全米オープンに勝利します。<br />
のちには自分が一番感銘を受けた言葉にバードンより受けたこの言葉を上げているようですよ。</p>
<p><a href="https://hb.afl.rakuten.co.jp/hgc/09041811.f4a02891.0ad86883.2815dfd9/?pc=http%3a%2f%2fsearch.rakuten.co.jp%2fsearch%2fmall%2f%25E3%2582%25B4%25E3%2583%25AB%25E3%2583%2595%25E5%2590%258D%25E8%25A8%2580%25E9%259B%2586%2f%3fgrp%3dproduct%26myButton.x%3d0%26myButton.y%3d0%26scid%3daf_link_urltxt&amp;m=http%3a%2f%2fm.rakuten.co.jp%2f" target="_blank">★ゴルフ名言集の数々★</a></p>
<h3 class="news_headline1">ハリーバードンのアマに負けた歴史的名勝負</h3>
<p>ハリーバードンといえば全英オープン6回優勝の超有名な選手ですが、実はそのバードンはアマチュアに敗れているんです。</p>
<p>これは驚きです。</p>
<p><strong>何時？</strong></p>
<p><strong>1913年の全米オープンでの出来事です。</strong></p>
<p>開催場所、コースは「ブルックラインゴルフクラブ」です。<br />
しかも相手は無名のキャディー上がりの20歳の若者の</p>
<p><span style="color: #ff0000;"><strong>「フランシス・ウィメット」</strong></span></p>
<p>です。<br />
参加した有名選手ではハリーバードンとテッド・レイ・</p>
<p>当初はこの二人の一騎打ちと思われていたのですが、結果はあにはからんや！</p>
<p>この続きはこちらです。</p>
<p><a href="https://argoruf.com/357.html">全米オープンのハリーバードンとフランシスウィメットの名勝負</a></p>
<p><a href="https://argoruf.com/3341.html">全英オープン開催コースと名勝負とオープンの歴史の紹介のまとめ</a></p>
<p>全英オープンの歴史や名勝負編のまとめです。</p>
]]></content:encoded>
					
		
		
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