パインバレーゴルフクラブは世界ランキング1位・世界で一番難しいコース

パインバレーゴルフクラブは世界名門ゴルフコースランキングで1位です。
しかももうひとつ世界一なのは世界で一番難しいコースとしても有名です。

設計はジョージ・アーサー・クランプで、設計と造成工事の監修はハーリー・コルトとクランプ亡き後は、C・H・アリソンが設計を取りまとめたとあります。

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世界で一番難しいゴルフ場と、世界で一番の名門ゴルフコースといわれているコースが、くしくも一致しているからこれは面白いですね。

そのコースの名は?

アメリカのニュージャージー州にある

「パインバレーゴルフクラブ」

です。
パインバレーゴルフクラブは、世界名門ゴルフコースランキングで殆どいつの時でも、トップをキープしている、文字通り世界ナンバーワンのゴルフコースです。

このコースの全長は「7057ヤード」ですから最近のゴルフコースからしたら、距離的には不足かもしれませんが、問題はやはりその距離ではなくてコースの中身!

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(出典元:http://www.imart.co.jp/worldbest100golf_framepage.html)

残念ながらこのコースではトーナメントは開催されませんから、テレビで見ることはありません。
これは本当に残念ですね。

さらにこのコースはメンバー同伴以外でビジターがプレーすることはかなわないコースです。

しかもメンバー同伴でもあらかじめゲストの人数制限があるようなので、これもまたプレーすることはかなりの至難の業のようです。

ではそのメンバー、会員の数ってどのくらい入るの?
いい質問ですが・・・(私も知りたかった)

「世界中から選ばれた1300人ほど」

1300人はいいのですが・・問題は世界中だそうですよ。
世界中です・・世界中・・

さすが世界ナンバーワンのゴルフクラブですね。

さらにもっとすごいのは女性は基本的に日曜日の午後しかプレーができないとあります。
したがって女性がここでプレーすることは本当に至難のわざと言うことのようですね・

これってオーガスタの時もありましたが差別でない?
そんな議論って沸きあがらないのかな?

いずれそういうことのようです。

パインバレーゴルフクラブの歴史と設計者は?

この世界ゴルフランキングナンバーワンの「パインバレーゴルフクラブ」の創設者は

「ジョージ・アーサー・クランプ(1871-1918)」

という方です。
生まれはフィラデルフィアで、父親から譲られたホテル・コロネードのオーナーとして優雅な生活を送っていたらしいのですが、問題は凝ると見境がなくなる方だったようです。

このクランプ氏がゴルフにはまったのは運命だったのだと思います。
ゴルフと出会い、腕をめきめき上げて地元では敵無しに・・

そして一大転機はスコットランドやイギリス、ヨーロッパ大陸まで足を伸ばしたゴルフ大旅行であったようです。
こうなると

「自分のコースを創る」

そういう執念に燃えたのでした。
そして候補地を探して行き着いたのがこの今のパインバレーの地だった訳です。

そのときはゴルフ場はおろか、鬱蒼たる松林に囲まれた砂地にブッシュが密生するうねった荒地でここに?まさか・・こういう意見が大半だったといいます。

しかしクランプ氏の見立ては正しかったのは、今証明されているということになります。

面積は184エーカーで買収価格は25万ドル。1913年工事開始とありますから約100年前の25万ドルといったらどんな価値だったんでしょうか?

1914年という年は全米オープンではウォルター・ヘーゲンが優勝して賞金はなんと

「300ドル」

でした。そんな時代に25万ドルとはすごいですね。
そしてクランプ氏はこの杜にコースを作るべく自分でそのコースの原案を作ったといいますから、凝り性もここまで来るともう才能になりますね。

現地のテントに寝泊りしてランプの下でその原案を練ったとあります。

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コースの具体的な設計にハーリー・コルトを招聘した

C・H・アリソンやアリスターマッケンジーとともに、設計事務所を立ち上げたりと、この3人はゴルフコースの設計では当時は大家でしたね。

当時のコルトはミュアフィールドなどで著名な、イギリスの名設計家という位置づけで、引っ張りだこでした。
そのコルトが見たこのパインバレーの地は何の疑いもなく、ここはアメリカで一番のコースになると確信したとあります。

そして二人が目指したコースはコルト自身が深く関わり、クランプがイギリスで最も感銘を受けた

「サニングデール」

ロンドン郊外の名門コースのここを目指したといいます。

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(出典元:http://www.otsuborealty.com/japanese/1-Golf/PineValley.html)

クランプがコルトに求めたものは?

1 世界で最も難しく究極の難易度を誇ること
2 1つのミスショットが次のトラブルとなり脱出が不能のこと

という一切の妥協を許さないコース設計でした。

このことからもクランプ氏が求めていたものが見えてくるようです。

クランプ氏はグッドショットには恵みを与え、バッドショットには罰を与えるというコース設定だったのですが、コルトは上級者には過酷でもアベレージゴルファーには寛容であるべきであると説いたとあります。

特にもめたのがバンカーの位置の決め方だといいます。

コルトはプレーヤーが逃げるルートを提案したのに対して、クランプはそんな逃げ場があるコースなんて作る気は毛頭ないと拒絶したそうです。

このパインバレーの目的はそんな浮ついたレジャーゴルファーを迎える気は毛頭なく、限りなく過酷なチャレンジに満ちたゴルフコースであるとクランプ氏はしょっちゅうコルトに言ったといいます。

「困難を克服するゴルフを学ぶこと」

それこそがクランプがいうパインバレーの存在目的であったのです。

クランプは5番ホールとなる池の岬に小屋を建ててそこですべての工事を監修したと書かれています。

1ホールできるごとに試打を繰り返して、気に入らないと修正して改良を繰り返したそうです。

ところが後4ホールで完成という時に、クランプ氏は不慮の死を遂げるのでした。
これは本当に不本意だったでしょうね。

しかし死の直前に書かれた図面を尊重しながら最後まで工事を遂行し、ついに1920年にパインバレーの全貌が日の目を見ることになったのです。

実に戦略的なコースでした。
その内容はパー3は4つ。それぞれショート・ミドル・ロングアイアンとウッドの4種を使う長さに設定されている。

パー5は2つ。2打でグリーンを捉えるのは不可能。

12ホールあるパー4は、運の良いドライバーショットがフェアーウエーに残っていれば、2打目はピッチショット・ピッチ&ラン・ミドル・ロングアイアンを駆使する4通りの攻め方があらかじめ設計されていたとあります。

そしてそのコース全体では2つとして同じ攻略法はなかったといいますからこれはまた驚きです。

このパインバレーは米国のゴルフコースの設計が、イギリスのリンクスの設計様式一辺倒から新たなアメリカのコースとしての可能性を模索し始めた、1ページだったのかもしれないです。

オーガスタをアリスターマッケンジーとボビージョーンズが設計して創るのは12年後・・
マスターズの第一回大会は1934年で14年後になるわけです。

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(出典元:http://www.imart.co.jp/worldbest100golf-2012-framepage.html)

パイバレーゴルフクラブのまとめと秘話

ここで余談ですが非公式にですが1914年には11ホールができていたのでそれで営業を開始したそうです。
ただしその後は遅々として工事が進まず、1918年にクランプ氏がなくなったときには12~15番の4ホールが未完と言うことのようでした。

そこでクランプ氏の死後にその設計のとりまとめを行ったのでが後に日本に来て、廣野ゴルフクラブや東京ゴルフ倶楽部、鳴尾や川奈ホテル富士コースを設計したC・H・アリソンだといいますから驚きです。

アリソンはその時期からコルトの事務所で働いていたということです。
日本の4コースが世界名門100コースに入るわけですね。(納得・・・)

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