オーガスタのコース設計はマッケンジー博士のマスターズ集大成だ!

マスターズゴルフ オーガスタナショナルGCは、アリスター・マッケンジーとボビージョーンズの、ゴルフの理想をかけた集大成だ!

28歳で引退した、ボビージョーンズが最後に手がけた、思い描いていた理想のゴルフ場(コース)、それがオーガスタです。

マッケンジー博士が設計した、サイプレスポイントをプレーした、ボビージョーンズが感動して、マッケンジー博士に依頼!(諸説ありますが・・)

場所の選定から、設計まで互いに最後の仕事だったんだな~~

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ゴルフメジャー大会の初戦

「マスターズトーナメント」

が繰り広げられる

「オーガスタナショナルゴルフクラブ」

オーガスタのコースを設計したのが

「アリスター・マッケンジー」

で共同設計者が

「ボビージョーンズ」です。

アリスターマッケンジーが設計したコースで現在世界ランク2位に入っているのが

「サイプレス・ポイント・ゴルフクラブ」

そして3位が

「オーガスタナショナルゴルフクラブ」のようです。
(順位はその時で入れ替わります・・2019年は5位にランク)

Contents

アリスターマッケンジーのオーガスタの設計思想

そしてマッケンジーのゴルフコースの設計思想は

  • 1 誰もが楽しめるコース
    2 わずらわしさがないコース
    3 カムフラージュ
    4 もう一度行きたくなるコース

上記の3番は本当にこれはしてやったりでしょう。
アーメンコーナーがこれに当たると思います。

オーガスタには魔物が住むともいわれますし、魔女がほほ笑むともいわれます。
アイクスポイントで自殺した「クリフォード・ロバーツ」の思いもこのコースには染みついているのだと思います。

それとアイゼンハワー大統領の思いも!

 

何故マッケンジーがオーガスタを設計することになったのか?

 

それは、ボビージョーンズがサイプレスポイントをラウンドして、そのコースの美しさに感銘したからだといわれています。

確かに、サイプレスポイントゴルフクラブはきれいで、素晴らしいレイアウトです。

そこで自分がコースを作るならアリスター・マッケンジーに依頼しようと決めていたようですね。

ところで、今ではどこでも普通のインコースと、アウトコースに分ける設計思想ですが、このマッケンジー博士が、インコース9ホール(フロントナイン)で、そこでクラブハウスに戻ってきて、そこから、アウトのバックナインに入っていく・・というコースレイアウトはここからです。

それ以前は、9番ホールはクラブハウスから、一番遠いところだったということです。
ぐる~~っと回って18番で帰ってくるんですね。

それを、近代ゴルフのインとアウトで、9ホールづつで9番でクラブハウスに、戻ってくるんです。

これは知りませんでした。

何故オーガスタにゴルフコースを作ったのか?

ボビージョーンズが、この地を見たときに、もともとは果樹園だったのですが、ゴルフ場建設のために待っていました!

そんなイメージの、小川やきれいな起伏などが、全く以てうってつけだったといってます。

この地を選んだのはボビージョーンズ!
そして設計は、アリスターマッケンジーですが、設計するにあたっては自然の起伏や小川などは、そのまま生かす設計で、人工的な部分は極力、なくすことに力を入れたコースだということです。
確かにレイズクリークなどは有名ですね。

 

マッケンジーのゴルフコースの設計思想は?

 

「ゴルフコースに向かない場所には作らない」

これです。
というわけでこの二人の意志、考えはオーガスタで、一致したわけです。

そして面積は、365エーカーといいますから広大です。
今でいえば、東京ドーム32個分だそうです。

楽しくラウンドできるが、ミスをすれば罰を受けるコースに、仕上がったということで、全くその通りかと・・

開場当時は、アウトとインが逆だったそうです。
ということは、アーメンコーナーからスタートする?

やはりそれでは、マッケンジーの言う意味がチョト違うので、元に戻したそうです。
(マッケンジーの設計通りです。)

 

マスターズはなぜマスターズなのか?

ボビージョーンズは、当初このオーガスタで全米オープンを開催しようと思っていたようです。

ところがここオーガスタは、夏はクローズしているコースなので、それはかないませんでした。

全米オープンの熱い時期には、プレーは無理だったのです。
ならばと・・

美しい花が咲き誇る、4月に招待式のトーナメントを、行おうとしたのです。
その時の大会名は

「オーガスタ・ナショナル・インビテーション・トーナメント」

と命名しました。
しかしこのオーガスタのトップはクリフォード・ロバーツです。
そのクリフォード・ロバーツがマスターズという名前を用意していたのです。

第一回大会は1934年。
その大会名で一波乱あります。

大会は、あくまでも招待試合。
各地域や国のゴルフのマスターを、迎えるわけですからクリフォード・ロバーツは

「マスターズ」 を主張!

が、しかしボビージョーンズは反対します。
理由は

「あまりにもおこがましいというか、思い上がっているという理由だったようです。」

しかし、ある画策で大会名が

「マスターズ」 になります。

それが1938年
しかしボビージョーンズはマスターズとは言わずに

「いわゆるマスターズ」

と、いっていたそうですから、これはまた意外な事実です。
よほどこの、マスターズという名前が、嫌いだったのかもしれません。

しかし運営は資金難!

結果、ボビージョーンズもこの試合に出ることに。
ボビーが出るのと、でないのとでは収入が、天と地ほどの差が…

しかしクリフォード・ロバーツ始め、オーガスタのメンバーは、全員お金持ち!
何とか、自己資金で賄っていたようです。

しかし、マスターズという名前が定着

マスターズが、メジャートーナメントに加えられることになって、それまでのグランドスラムの定義も変わりました。

 

グランドスラムの定義について!

 

それまではグランドスラムというのは

  • 全米オープン
    全英オープン
    全英アマチュア
    全米アマチュア

この4大会がメジャーです。

しかし、マスターズが招待試合で、開催からメジャーの要件を、満たしているために、変更になりました。

  • 全米オープン
    全英オープン
    マスターズトーナメント
    全米プロ選手権

これが4大メジャーになったのです。
ボビージョーンズのみが、上記の年間グランドスラムを、達成しています。

尚、グランドスラムという名前は、このボビージョーンズが年間に、上記の大会すべてを連破したことで、名付けられたものです。

マスターズができてからは、メジャー大会はすべて、プロの大会になりました。
が・・
アマも出場していい大会では、当然あります。
全米アマや、全英アマや松山英樹が条件を満たした、アジアでのアマチュアチャンピオンも招待選手です。

このマスターズができて、ゴルフ界は様変わりしたことは、間違いがなさそうです。

マスターズトーナメント・オーガスタのことは名勝負までここで完結

マスターズの歴史から名勝負編までの紹介です。

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マスターズの歴史のまとめ

ボビージョーンズは、生涯アマチュアで通しました。
当時は、ゴルフはお金持ちの遊びで、ゴルフを楽しむ方にはプロよりは、アマの方が多かったんですね。

1900年当時のお話ですが・・・

それが徐々に、アマチュアの方は私の下手な考えですが、経済の流れの中で仕事のスタイルが変わってきて、遊んでばかりもいられなくなった??

のかもしれません。

クリフォードロバーツ氏は、ウォール街でのやり手の投資家です。

ボビージョーンズは、その資金力のバックが欲しかった・・が・・然し実権はロバーツが握ったわけです。

アマ人口が少なくなっていけば、当然プロが台頭してくるわけです。
徐々に、プロが大半を占めるようになっていったのは、想像に難くないですね。

でも、アマが主役の時代には、こういうビッグな名勝負もあったんだな。

全米オープン名勝負!フランシスウィメットとハリーバードンの死闘!

無名のアマが、バードントロフィーの名前の由来にもなった

「ハリーバードン」

に勝ってしまった!

いずれ、その曲がり角にあった時代なのかな~~って、自分では思ったりまします。

プロと言えば・・ゴルファーのプロ第一号って、どなたか知ってますか~~~??

どうやら、暗黙のコンセンサスのようなもので、この方のようです。

アラン・ロバートソンはゴルフの歴史でプロゴルファー第一号である。

実は、全英オープンの第一回大会は、この方が亡くなったための、追悼試合だったという、そんないわれもあります。

「トムモリス・シニア」

は、この方に弟子入りした、ボール職人。
皮のボールから、ゴムに変化していく時代で、どうしても古いものを捨て切れなかった面も、あったようですね。

トムモリス・ジュニアはシニアの息子で、全英オープン4連続優勝で、ベルトを奪取!

その後、今のクラレットジャグになったようです。

歴史ですね~~

いろいろ余談でした!!

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